法学部生の議論(近年の社会問題について)
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これまでのあらすじ、
法学部生である『後輩』(女性)は、『先輩』に試験勉強の話題をはじめ、さまざまな疑問について、質問をし、時に議論をする。
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後輩
先輩のお話を聞いていると、法律というのは、現実に生じている社会の問題と切っても切れない関係にあるのだな、と感じます。
先輩
まさに、その通りです。
私も法律を、勉強する前は、社会のニュースに無関心な方でしたが、法律を勉強し出してから、関心を持つようになりました。
元法務大臣の汚職による逮捕など、十代の頃ならば遠い世界のことのように感じていた記事も、法律を勉強するものとして興味深く読むようになりました。
後輩
最近話題となっている、いじめ問題や男女差別、死刑制度の是非についても、議論したくなります。
選挙権や一般的な職業選択において、法的には男女差別はありませんが、むしろ日常の雑多なことについて男女差別が根深く残っていると思います。
さらに、この世の中にあるさまざまな差別は、男女間の差異を超えて、いじめ問題にも繋がっているようにも思います。
これらについて、先輩と議論したいと思います。
先輩
是非、議論しましょう。私も、関心のあるテーマであり、社会的に見ても議論する意義のあるものだと思います。
後輩
まず、死刑制度については、どう思いますか。
私は、凶悪なく殺人を犯した人間は、死をもって償うべきだから、死刑に処せられて当然だと思うのですが、死刑制度に反対する声もあることは知っています。
これほどまで、意見が分かれるということは、おそらくこの問題は、個人の思想的なものに関連する問題なのだろうな、と思います。
先輩
死刑制度については、かねてより私は思うところがあります。
結論的には、死刑制度には反対です。
凶悪犯であれ、意図的に、人の命を奪うという行為は、野蛮な行為であり、教養を身につけた人間のすることではないと思います。
当事者じゃないから、そんな甘い発言が出来るんだ、と言われてしまうかもしれませんが、私は、自分が当事者だとして考えた時にこそ、死刑制度には問題がある、と思うのです。
卑近な例を挙げると、誰かに謂れのない嫌味を言われたり嫌がらせを受けたとしましょう。そういう場合に、相手と同じやり方でやり返すって、悔しくないですか。
他人に無礼なことをされたからといって無礼で返すのは、どこか子供じみている、というか、自身の精神性の低さを露呈してしまっているように私には思えるのです。
犯罪を犯された側は、犯人が極刑に処せられないのは、自分の方だけやられっぱなしだ、と感じるかもしれません。
しかし、刑務所の制限された生活を思うと、やられっぱなし、というわけではないと思うのです。
自分の罪を死んで償う、と言う人もいますけれど、それで本当に償えるのか、個人的には甚だ疑問です。少なくとも、凶悪犯が死刑に処せられだからといって、被害者が戻ってくるわけではないことは確かです。
それに、死ぬことによって全ての罪を償えるのだとすれは、極論すれば、自分が死にさえすれば、どんな罪でも犯しても良いということになりかねない、と思いませんか。
もともと死にたい人がいたとすれば、そういう人による、自分が死刑になってでも他人を殺したかった、という希望を叶えてしまうことになりかねません。
自分を愛せる人間が他人も愛せるのだとしたら、自分なんて生きる価値ない、と思っていら人間が他人を殺めてしまうのではないか、と私は思うのです。
そういう人間を、死刑に処すことが、果たして事件の法的処理として適切といえるでしょうか。私には、甚だ疑問です。
後輩
なるほど。私にはまだ受け入れられませんが、先輩の言われたことにも一理あると思います。
先輩の意見を聞いていて思ったのは、死刑制度の是非に関する問題は、生死の意義に関わる問題につながる、ということです。
死んだことによって全てが終わる、という考え方と、どう生きるか、が何より大事だ、という考えのどちらを重視するべきか、という問題に関わるような気がしました。
死刑制度に賛成する側は、前者の考え方に近いように思えます。
私もどちらかと言うと、前者の考え方に近いです。
先輩
はい、まさにその通りだと思います。
そもそも、死んだら全て終わり、という考え方では、豊かな人生を歩めないのではないか、と私は思います。やはりそういう考え方は、精神性が低い、と感じずにはいられないのです。
他方で、素晴らしい精神性を持って生きた人の精神性は、その象徴となる作品や記録となって、その人が死亡しても後に残ると思います。実際、名作と言われる絵画や音楽、小説などの、素晴らしい作品は、作者が亡くなっても、後世に残っています。
やはり当人が、どういう生き方をしたか、が何より大切だと私は思います。
凶悪犯の犯罪は、人間のしたこととは思えない残酷な行為ですが、その犯人こそ人間としての知性と教養を身につけられなかった、被害者であるといえる場合も、多々あります。
例えば、オウム真理教による地下鉄サリン事件の死刑囚も家庭環境に恵まれなかったことが取材等により明らかになっています。
後輩
確かに、犯人が死んだからといって被害者の命が戻ってくるわけではありません。
遺族の方も、極刑を望む人もいれば、犯人に生きて懺悔する人生を歩んで欲しい、と思う人もいると思います。個々人の思想に関わる、難しい問題だと思います。
先輩の意見によって、私の考えにも迷いが生じました。私の中で、まだ答えは出ません。