予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

司法試験に落ちたあなたへ

【同じ大学の法学部を卒業した先輩と後輩(受験生)の、ある日の会話】

後輩

先輩、今年度受験した司法試験に、落ちてしまいました。

今まで、自分なりに一生懸命勉強してきたと思っていたのに、すごく悔しいです。

そして、悲しくて、辛いです。

言葉に出ないほどです。

先輩は、現在は、合格して実務で立派に仕事されていますが、落ちた御経験もあると聞きました。

落ちた時、どのように気持ちを立て直しましたか?

そして、後輩へのアドバイスとして、どういう気持ちで、これからの勉強にのぞめば良いと思われますか。

 

先輩

落ちたことは、非常に残念です。私も、昔、体験したことがあります。

ただ、一つだけ言えるのは、『試験に落ちた』という事実は、あなたが受験した当該試験の一定の点数に足りていなかったというだけのことであって、人格が否定されたわけではありません。

あなたの魅力が、失われたわけではありません。

また、仮に受かっていたとしても、当該試験において、一定の点数を超えていたというだけのことであって、あなたの魅力が急に増したとか、いきなり人格者になったというわけはありません。

 

驚かれるかもしれませんが、私は今でも、落ちた時のことを鮮明に覚えています。

同時の心境を、YouTubeで公開したわけでもないのに、です。

さらに驚かれるかもしれませんが、私は、(もう旧司法試験時代のことになりますが)落ちて良かったと思っています。

その後、必死で勉強しました。最初は図書館に行っていましたが、身なりを整えるのが面倒で、家で勉強していました。

実家で浪人していたので、食料等の買い物は全て親に任せていました。

朝起きで、主に過去問を解きまくりました。

あまりに、体を動かさないと健康に悪いということで、家にあったランニングマシーンで走ったり、家の周辺をウォーキングしたりしました。それも、平日の昼間だと、人目が気になるというのもあって、夕方以降に歩いていました。

たまに、不審者のような人も見かけましたが、人間として、最低限の健康を維持する必要があったので、ウォーキングは、私にとって、死活問題でした。

時々、自分は、刑務所にいる受刑者と、大して変わらない生活をしているではないか、と思いました。でも、それで良いじゃないか、とも思いました。

 

後輩

先輩でも、そんな時期があったのですね。興味深いです。

 

先輩

はい、今思えば、その時の経験が、現在の自分の人格や思考を形成しています。

おこがましいかもしれませんが、社会的に、弱い者の気持ちが分かるようになったのです。

現在、いじめとか、格差社会とか、そういうものに興味を持つようになったのは、私の受験体験があったからです。

そういう受験体験が無ければ、そういう社会的な問題に興味を持たなかったように思います。

 

後輩

たしかにそうですよね。

先輩は、地元の進学校を卒業して、大学でも優秀な成績で卒業されています。その上、何より、容姿にも恵まれています。

社会的に、恵まれた人、という印象を抱いています。

 

先輩

確かに、中高生の頃から、私は恵まれた人間、だったように思います。

司法試験に落ちて、初めて大きな挫折を味わいました。ただ、それはとても貴重な体験で、今となっては、落としてくれた司法試験委員会に、心から感謝しています。

司法試験に対して、ただ受かれば良いんだ、と浅い考えで試験に臨んでいました。

試験問題の深さに、到達出来ていませんでした。

ただ、不合格後、地獄のような試験勉強期間を経て、本番で、試験問題の深さに、感動できたのです。

出題者は、こういうことを求めていたのか、と。

 

後輩

私も、その深みに、早く辿り着きたいです。

 

先輩

焦りは禁物です。

私の話したことも、所詮は、結果的に合格した人間の綺麗事だと、片付ける人間もいるでしょう。

もしかしたら昔の自分も、そういう腐っていた時期があったかもしれません。

私の話を、どう受けとるのか、それはあなた次第です。

終局的には、合格とか不合格とか、そういう客観的なものに左右されない、自分の内面というものが出来上がります。

自分の感じたこと、考えたこと、は誰にも奪われません。

私の敬愛するシェイクスピアの言葉を借りて言うと、『この世の中に、不幸も幸福も存在しない、ただ考え方があるだけだ』と思います。

 

後輩

ありがとうございます。まだ傷は癒えませんが、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。