予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずに勉強して受験。勉強を中心に日々、思うことを思うことを綴っていきます。(2017年予備試験 論文は合格まで2点足りず。)

司法試験に落ちたあなたへ、エピソード1 抜粋(2)

司法試験に落ちたあなたへ、エピソード1抜粋(2)

【導入】

それは某年の6月、蝉の鳴き声がチラホラ聞こえてくるようになった頃であった。

その音が、これから厳しい夏が始まることを知らせていた。

 

某大学では、毎年この時期に、司法試験を受け終えた法学部生が、それぞれ所属する研究室の仲間と、試験の感想等を共有するという面目で、キャンパスに戻ってくるというのが恒例のこととなっていた。

この年も、例外では無かった。

 

この、懇親会のような、暑気払いのような、単なる飲み会のような集まりは、その名称は何であれ、当事者となる学生らにとっては無くてはならないものとなっていた。

 

その年は、例年より気温が高いということで、クーラーの効いた図書館の会議室に、会場が設定された。

 

キャンパスの西門から図書館に向かう小道の片側に、桜の木が並んでいる。

木々は、青葉が繁り始め、強い日差しを反射している。

その様は、生まれたての赤ん坊が驚異的な成長を遂げる数ヶ月間の生命力を、彷彿とさせる。

その下を、ポツリポツリと、学生が歩いている。

特段、空を見上げるなどしなくとも、並木道の状態が、試験前である二ヶ月ほど前とは大きく異なっていることは、歩行者の知りうる状況であった。

 

青葉に覆われた木々の輝きは、ある者には残酷に映り、また別のある者には激励や称賛の意と映った。

それもまた、試験を受けた者にとっては、周知の事実であった。

 

例年通り、会合には、多くの学生が参加した。

ただ、そんな会合を何時間にもわたってした後も、試験終了後の学生のモヤモヤは消えないというのが、現実であった。

 

そういった事情を酌んで、合格者が、学生に個別対応出来ないか、ということが以前から議論されていた。

勉強する習慣が身についており、日常生活において勉強しかしなくなった学生の、試験終了後の悲壮を見かねて、ここ一、二年、合格者によるゼミが開催されるという事となっていた。

そのゼミは、任意参加となっているものの、悩める学生の救いの場となっていた。

 

そのゼミが、今年も開催されようとしていた。

そこでは、司法試験受験生が、某大学のOBOGの司法試験合格者に司法試験のための勉強を教わる。

しかし、今年は去年と少し違っていた。

ある合格者の強い希望により、受験生活の個別相談にのる期間を、正規のゼミの前に一ヶ月間もうけることになったのである。

在校生なら誰でも、その一ヶ月間継続的に、その合格者に相談にのってもらえるというのである。

そして、法学部に所属する一人の在学生が、それに応募した。

先着一名ということで、その一人の女子大生が、その合格者のもとに、一週間おきに、質問、相談のために通うことになった。

その女子大生に、おとずれる変化、当初彼女自身が全く予想しないものであった。

 

これから語られることは、大学生と某私立大学法学部の研究室での、ある司法試験合格者と当学の司法試験受験生との会話である。

 

その会話は、大学のキャンパスの、奥にある棟の中の、さらに片隅にある教室でなされた。その棟は、もう正規の授業がなされる場所としては利用されていないが、主に司法試験受験生自習やゼミの場所として解放された、法学部生にとっては、いわば穴場的な場所である。

 

その教室に、一人の学生が訪れた。

今年、二回目の予備試験を受験し、法科大学院入学のための勉強に入ろうとする、女子大生である。

学生

「はじめまして。私、法学部生三年の

 

先輩

「待って下さい。名前は、結構です。匿名性を維持するために、名前は聞かないことになっています。

 

無料で一ヶ月間、あなたに専属的に、試験勉強、ひいては人生の相談にのる代わりに、あなたの質問相談内容と、私の回答については、全て記録させていただきます。

 

後進の指導、という名目で、このような仕事引き受けた以上、あなた質問相談に対してした回答は、その質問相談の内容と共に、後日何らかの形で公開させていただきます。

本になるか、電子ファイルのデータとして閲覧の対象になるかは、まだ未定です。

もちろん、プライバシーの保障のため、あなたの名前は公開しません。

この説明も、義務付けられたものです。

同意するなら、この書面にサインをお願いします。

学生は訝しげに、その合格者の方を見たが、自分には選択する権利はないことが、容易に理解できた。

 

学生は、目の前の書面にサインし、合格者である、という目の前の女性に渡した。

その際、両手で書面の端を掴み、軽く会釈することを忘れなかった。

学生は、机を挟んでその女性目の前に腰かけた後、やや恥ずかしく思った。

というのも、自分は何年まえに買ったか分からない黒のスカートにユニクロのパーカーであるのに対し、彼女は高価そうなスーツ風のスカートに、ブラウスといったいでたちである。

 

だが、合格者の方はそんなこと、全く気にしていないようであった。

 

学生が恥ずかしそうにしていると、合格者の女性はそれを察したかのように、一言、「緊張しなくていいです。気軽に話してくれてかまいません」と言った。

そして続けた。

「念のため言っておきますが、これは面接ではありませんので、私との会話によってあなたの成績がつけられるわけではありません」と。

 

【動機 1】 

学生

私は、約一ヶ月前、司法試験を受験しました。

とてもハードな5日間でした。

とても、合格している気にはなりません。

私の実力を考えると、今すぐにでも勉強を再開しなければいけないのでしょうが、気持ちが萎えてしまって、とてもそんな気分になれません。

最近、いてもたってもいられなくなって、こうして先生にお話をうかがいに来ました。

 

先輩

先生、という呼び方はあえてやめてください。せめて、先輩として下さい。

10年ほど前、私もあなたと同じ大学に属していた大学生でしたから。

 

私も、受験生のあなたに敬意を表して、ほとんど敬語で話させていただきます。

一受験生でも、一合格者でも、人間としての価値は同じ、というのが、私のプリンシパル(主義主張)です。

そして、この考えは、あなたのような一受験生との会話で、敬語で会話することを実践してこそ威力を発揮すると思っています。

  

学生

先生は、何故司法試験を受けようと思ったのですか。

あ、こういう質問ってありふれていますね。

先生なら、もう嫌気がさすくらい聞かれているでしょう。

えっと、司法試験を受けるためにはまず勉強しないといけないですから、「何故、法律の勉強に打ち込もうと思ったのですか」という質問をさせてください。

 

というのも、合格体験談読んでいて、「弱い人を、言葉の力で助けたいから」とか「知人に弁護士がいて、とてもやりがいのある仕事のようだから」等、司法試験を目指す動機を書いている人が多くいることを知りました。しかし、私には、そういう立派な志がなく、単に法律の専門家になったら良い暮らしができるんだろうな、くらいにしか思っていません。

そういう、立派な志をもった合格者の存在を思うたびに、励まされるどころか、私には無理だ、と意気消沈させられます。

彼らが嘘をついているとも思いませんが、人間そんなに立派な志をもって、勉強を継続できるのかとも思うのです。

私が、人間として出来ていないのは重々承知しています。

ただ、本当のところ、何故それほどまでに勉強に打ち込めるんだろうな、と思うのです。

 

 

先輩

私も、大学生の頃、私立の法学部だったということもあって、合格者が崇められているのを肌で感じました。キラキラしていて、かっこいいな、と強い憧れを抱きました。

同時に、彼らも数年前私と同じ大学に入学した人間じゃないか、という(やや僻みに似た)気持ちになりました。

 

そして、大学に入学後、周囲の環境から何となく法律の勉強を始め、司法試験の問題を解いていくうちに、何とも言えない深い世界に足を踏み入れてしまった、と感じるようになりました。さっさと辞めたい、という思いと、何としてもマスターしたい、という気持ちがせめぎ合っていました。

 

さらに、予備校の模試等で、優秀答案を読んだりすると、「何これ、同じ人間が、同じ時間だけ問題と向き合って、どうやってこんな答案が書けるんだろう。もう宇宙人じゃん」と思いました。

法律の問題がスラスラ解けるってどんな気持ちなんだろう、私も是非是非味わってみたいという、衝動に駆られました。

同時に、合格者の、あのキラキラした表情が脳裏に浮かび、その画像と相まって、私の衝動はますます強くなりました。

たとえ、それが宇宙人でも、私の人生で、一度でもそういう(司法試験の問題がスラスラ解けるという)ものを味わってみたい、と思うようになったのです。

それが、私の場合は一番のモチベーションだったのではないか、と私は思います。

そして、そんなに勉強が出来るようになるのは、宇宙人ではなく、むしろ普通の人間だ、と確信したのは、もっと後のことです。

考えてもみてください。

普通の人間だからこそ、継続的に勉強しなければ成績は上がらないのだし、継続的に勉強しなければと思うのだし、継続的に勉強すると当然のように成績が上がるのです。

普通の人間であることに誇りを感じられるようになると、どんな分野においても、一個人の人生として結構良いものになるのではないか、と思います。

さらに法律家になる動機について言及します。

 

確かに、自分が一生懸命勉強していると、他の人の人生、ひいては世の中も良くなってほしい、という思いになってきます。ただ、それはあくまで自分の勉強に打ち込めるようになってからのことです。

少なくとも、私の場合はそうでした。

 

忘れてはならないのは、体験談を書くのは、合格した後である、ということ、そして基本的には実名を出して記述している、ということです。

合格した後の、法律家としての自分の立場を考えて、記述するのが普通だと思います。

 

世のため、人のため、というのも、嘘ではないと思いますが、合格した後、もしくはかなり勉強が進んだ頃に思うようになったことかもしれません。

 

学生

弁護士になりたいから、司法試験を受ける、という動機じゃなくてもよい、ということですね。少し気が楽になりました。

 

先輩

あなたのような、既存の固定観念に縛られて伸び悩んでいる、善良で優秀な若者が、世の中多いように思えてなりません。

ここは、もう少し言わせてください。

弁護士の多くなった現代社会においては、司法試験に合格しても、従来型のいわゆるエリート弁護士になれる人の方が、むしろ少数派となってくるのではないでしょうか。

弁護士の仕事は、もはや訴訟だけにとどまらないでしょう。

となると、受験段階においても、弁護士になりたいから司法試験を受ける、という人ばかりでないのも、当然のことのように思います。

起業家になりたいから司法試験受ける、小説家になりたいから司法試験を受ける、という人が存在しているとしても、それはむしろ自然なことのように思えます。

起業家については、受験勉強を続けるうちに既存の予備校のやり方に疑問を感じ、自ら受験勉強についての新たな価値観をビジネスを通して社会に提示したいと考えるのも、想像に難くありません。

また、小説家については、長年の受験勉強を通して世の中の出来事を深く考えるようになり、尊い経験をしたとして、芥川龍之介のような社会への鋭い視点をもった小説を書けるようになる、というのも、納得します。

アイドルになりたいから司法試験を受ける、という人がいても良い、と断言する勇気はまだ私にはありません。ただ、クイズ番組等で活躍する高学歴芸人を見ると、そういう人が出てくるのも、時間の問題かもしれません。

実際、私が学生の頃、モテたいから、司法試験を受ける(そして受かる)と言う人もいました。何故、司法試験に受かる人間がモテるのか、今となっては謎です。

 

 

質問

私は、この世の中が良くなれば良い、それに貢献したい、という気持ちはあります。

ただ、大学内で見かける、既に司法試験の勉強に打ち込んでいる学生を見る、やる気が湧いてくるどころか、気持ちを萎えさせられてしまうように、感じます。

こんなに優秀な人達が、法律家になって世の中に貢献しようとしているのだから、この人達に任せておけばいいじゃないか、何故自分がやらなきゃいけないのか、と。

あえて自分が勉強する意義を、疑ってしまうんです。

さらに、気分を沈ませるのは、私のような二流大学卒の人間は、もし法律家になれたとしても、世間的に見て、あるいは個人的に考えて、良い仕事につけないのではないか、と思うのです。

そうなると、当然のように勉強は捗りません。

 

先輩

これは、後に述べることにも関連することです。

まず、やる気については、何もないところから湧いてくることを期待してはいけません。

湧いてくるのを待たず、まず、やってみることが大切です。

そうすると、自分でも当初予想していなかったことによって、やる気が湧いてきたりするものです。

次に、他に優秀な人間が、法律家を目指すから、何も自分がその仕事に携わる必要はないじゃないか、もし携われたとしてやりがいを感じないのではないか、という点について述べます。

 

私も、遠い昔、東大卒でなければ法律家としてまともなキャリアを歩めないのではないか、とか、現役合格でなければ法律家になる意味が無いのではないか、とか考えたことがありました。

 

ただ、長く勉強してきて、しかも長く生きてきて思うのは、学歴の良し悪しやキャリアの有無だけで人間は、評価されるものではない、ということです。

たとえ、皆が羨む学歴や肩書きのある人でも、生きがいを感じられず、欲求不満にさいなまれる毎日を過ごしている人間もいます。また、そういう人間の中には、内面の虚しさからか、犯罪にはしってしまう人もいます。

もちろん、学歴とキャリアがあって、かつ人間として尊敬できる人も多くいます。

ただ、ハッキリ言えることは、一概に、学歴とキャリアだけで、法律家としての価値が決まるというわけではないのです。一部の古い体質の組織は、まだそういう傾向にあるのかもしれませんが、そういう組織に所属しなければ良いだけのことです。

個の力、つまり自分の頭で考える力が、社会で頭角を表すにあたって大事になってくると思います。

特にこれからの時代、その傾向がますます顕著になるように私は思います。

従来型の大学入試を見据えた、詰め込み教育の弊害が、あらゆるところで出てきているように思います。

また、官僚の不祥事をニュースで目にするたび、この人は、若い時から勉強していただろうに、自分の人生に充実感を得られずに生きているんだろな、感じます。

これは、実際に東大卒の友人が言っていたことですが、東大生の中で、もともと地頭が良くて使命感に満ち溢れている人は少数派で、頭が悪いことを自覚しつつ勉強ばかりに打ち込んできた人達が相当数いたそうです。

ただ、世間一般の人間は、まだまだ「東大生は頭が良い」というステレオタイプの人間が多いですから、そういう評価を得たいがために、もしくは周囲の人間に進められるままに、詰めこみ教育に身を投じる人も多くいるのでしょう。もちろん、勉強自体が楽しくて、気がついたら東大合格レベルに達していた、という人もいると思います。

また、東大卒の人の中にも、学歴に甘んじず独自の価値観と行動力で自らの人生を切り開き、世の中にインパクトを与えることを成し遂げる人もいます。

 

そういう人こそ、尊敬に値する、と私は思います。

 

このことは、司法試験においても言えることでは、とフッと思いました。

皆が皆、エリートコースを目指さなくても、自分の個性を活かして活躍の場を広げていったら良いんじゃないか、と思います。しかも現代社会においては、東大卒でも、エリートコースを歩めるのは、一握りである、ということは周知の事実になっています。

また、たとえ学歴があっても、それに甘んじず、日々自分の頭で考え、困難に立ち向かって生きていくことが大切なのではないか、と思います。

 

そして、そういう人間が、新たな時代を作り、充実感を得られたりするものです。

学歴とかキャリアがないことを、むしろアドバンテージとして捉えられるようになれば、しめたものじゃないか、と思います。

 

 

質問

そう考えると、自分の悩みが、見当はずれであることがよく分かります。

たまに、サークル内の学生同士で、「なぜ、司法試験を受けるのか、なぜ、弁護士になりたいのか」と語っているのが、バカバカしく思えてきました。

 

先輩

私の学生の頃も、「なぜ、弁護士になりたいのか」等、言う人がいました。

今考えると、それが多数派なのだろう、と特に気に留めるほどの事ではなかったな、と思います。

動機など、無くても良い、と私は思います。ただ、そういう大義名分があった方が、実務についた際に、困難に直面しても、乗り越えられるかもしれない、というだけのことだと思います。

人生を生きるということは、刹那の連続なのだから、目的を持たずとも目の前の法律の勉強に興味をもち、毎日毎日勉強した人間が、結果的に良い成績で受かる、ということはあり得ると思います。

そして、その過程に、人為的に「将来の仕事ための勉強」などと意味づけをしているだけのことなのだ、思います。

このことは、私が日頃から強く思っていることで、自らの体験による発見とも言えると考えているので、この先のあなたとの会話でも何度か話題に上がるかもしれません。

 

質問

先日、初めて受けた司法試験の短答式試験の結果がかえってきました。

落ちた、というのはもちろんのことですが、それ以上に、成績を見て、もう自分には無理ではないか、と思ってしまいました。

この落胆から、どう這い上がったらよいか分かりません。こんなの個人の心の弱さによるものでしょうから、人にアドバイスを求めるのも恥ずかしいです。

でも、どうしてよいか分かりません。

 

先輩

人間とは、様々な局面に応じて、様々な気持ちになります。

困難に直面した際には、誰しも、程度の差こそあれ気分が沈み込んでしまうでしょう。

ただ、私の経験から声を大にして言えることは、「人間は、変わっていける生き物だ」ということです。

このことは、学力においてはもちろんのこと、気持ちの面においても言えることです。

シェイクスピア(イギリスの戯曲家)の言うことが本当ならば、「この世に不幸も幸福もない、ただ考え方があるだけ」なのです。

 

あなたがこれから勉強に打ち込んで、確固たる実力を身につけるようになると、「あの時落ちて、本当に良かった」と思える日が来るかもしれません。

考えてもみてください。

早くに、まぐれ合格して、その先で勉強にやる気をなくしてしまい、「名ばかり先生」になってしまうなんて、充実した人生といえますか。

 

学生

その言葉、勇気付けられます。

一概に、早くに受かるのが、個人の人生にとって良いとも限らないのですね。

 

 

先輩

一般的には、早くに合格した方が長くキャリアを歩めて、良いことは重々承知しています。

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