相対性理論に思いを馳せるとき
自分が、何かに打ち込んでいるとき、時間がとてもゆっくり流れているように感じるときがあります。
そんなとき、一言で言うと「充実している」と感じるのです。
嫌なことをしているときに時間がゆっくりと過ぎているように感じる、という事とは、また別です。
テレビを見ているとあっという間なのに、自分を磨く努力をしているときは時間がのばされているように感じるのです。
また、一日の中の時間のみならず、充実した日々を続けていると、一週間も長く感じるのです。
例えば、まだ金曜日なのに、もう土曜日が来ても良いように感じるのです。
逆に、時間に追われて生きていると、一週間があっという間に過ぎ、土曜日もあっという間にきてしまい、自分の人生にどことなく、虚しさを感じるのです。
そして、こうして充実した時間を過ごして、「時のながれ」に感動しているとき、アインシュタインの「相対性理論」に思いを馳せるのです。
「楽しいことをしていると時間は早く過ぎるけれど、苦しいことをしていると遅くすぎる」
こんな素朴な疑問や感覚を、数式を使って理論的に説明し、論文に仕上げた彼に対しては、凄いな、としか思いません。
新しい考えというものは批判を受けやすい、というけれど、そういうものに耐えて存在したからこそ、現代の私は、こうして偉大なものに触れることができるのだ、と思います。
また同時に、こういう理論は、エリート教育(良い大学に入って、良い大学で研究して)を受けていたら、とてもじゃないけれど出てこないものだろうな、と思いました。
エリート教育を受けていたら、与えられたもの(例えば環境、予算、空間)の中で、あくせくするしかなかっただろう、と思います。
自分に、環境として存在する時間の絶対性を疑う、などと、想像もできなかっただろうな、と思います。
それは、現在の教育においても言えることだろう、と思います。