フェデラー対チリッチの試合(テニス) ウィンブルドン
昨日の深夜から今日の明け方にかけて、フェデラー対チリッチの試合を見ました。
初めてフェデラーの試合をテレビで見たのが、2012年のウィンブルドン決勝です。
そのときのフェデラーの印象は、試合後半に強い、というものでした。
精神的、肉体的に、厳しくなる後半において、彼の強さは目を見はるものがありました。
今回の試合もその時と、全く変わらず、衰えの無い鋭いショットを打っていました。
ただ、チリッチが2セットを先取したので、フェデラーが勝つのは普通に考えると、かなり厳しくなる、と思いました。
しかし、そこはフェデラー。
一般論は、当てはまりません。
何と2セットを連続で取り、最終セットまでもち込んだのです。
秀逸だったのが4セット目。
このセットを落とすとフェデラーはゲームオーバーです。
そこで、6-6とし、最終段階のゲームにもちこみました。
これだけでも凄い巻き返しだと思ったのですが、フェデラーの凄さはそれだけに止まりません。
チリッチがあと1ポイント取ると試合終了となる場面でも、フェデラーは点を取らせません。
そしてついに、フェデラーがそのセットを取りました。
野球でいうなら、9回2アウト満塁のピンチを凌いで、裏で5点以上入れて勝つようなものではないか、と感動しました。
もっとも、絶体絶命の場面だと通常人が思う状況下で、
当の本人は、ものすごく冷静で落ち着いており、集中していたのかもしれません。
2セットを先取されながら2セットを取り返した時点で、フェデラーの方が勝っていたのではないか、と思いました。
もちろん、ここで勝負あり、というには時期尚早でしょう。
このような試合を見ると、テニスはメンタルの闘いの要素が相当強いな、と思わずにいられません。
流れに身をまかせるのではなく、一球一球にいかに集中できるか、が勝負を分かつものとなっていると思うのです。
この点が野球と大きく異なる、と感じます。
野球は、点が入るとある程度流れが決まってしまう試合が多いように思います。
プロ野球を見ていて、最初の頃は、このことに歯がゆさを感じていました。
しかし、いつしか、そういうものなのだ、と思うようになりました。
だからこそ、5点差を逆転、などという試合を見ると、人間の凄さを見せてもらえた感じがします。
翻って、個人の人生に目を向けると、
一日一日を大切に生きると、きっと良いことがあるに違いない、
と思うのです。