予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

誕生日の意義

25歳を超えた人にとっての誕生日の意義

以前から(大体20代後半に差し掛かったあたりから)、誕生日の意義について考えていたことがあります。

子供のころは早く大人になりたくて、また友達や家族から祝われるということもあって誕生月がくるとそれだけで嬉しくなっていました。

しかし、大人になると、誕生日についてもっと違った考え方をするようになります。

客観的な年齢を見る度に年をとってきている、と思いつつ、自分だけは老いない、という根拠の無い自信のもと、無理やりの理論を立てようとするのです。

私が思っているのは25、6歳を境にして、若返ってきているのではないか、ということです。

中学、高校、大学、は先のステージ(学校等)が明確に用意されていて自分が成長している、というのが、肩書きからしても明確でしたが、20代後半になると自分のキャリアを自分で構築していく、という姿勢がなければ上にはいけません。

そのことを、私は20代後半で実感しました。

少なくとも、そのように考えて一年一年をテーマをもって年を重ねたことによって、有意義に過ごせた、と思っています。

かつて、セリーナ・ウィリアムズウィンブルドン(女子シングルス)で優勝した直後のテニスコート上でのインタビューで、「私は30歳を超えたけれど、中学生のままよ」、ということを語っていました。

私は、それを見て、「あぁ、この人もなんだ」、と思いました。

何の驕りでも謙遜でもなく、彼女の率直な気持ちなんだろうな、と思ったのです。

思春期に打ち込んだことを今でも打ち込んでいる、ということなんだろうな、と思います。

そして、25歳から8歳(25歳と33歳(確か、当時の彼女の年齢)の年の差)若返ったら何歳になるか、と私の25歳さかのぼり現象論を当てはめてみました。

そうすると惜しくも、17歳、と中学生にはなりませんでした。

しかし、どの時点でさかのぼり現象が起きるか、について個人差があるとすると、彼女はおそらく24(か23)歳でさかのぼり現象が生じたのではないか、と思います。

精神状態は中学生、と自覚しつつも、潜在的に今まで積み重ねた経験や知識が役に立っているのだろうな、と思います。

そして、それが相互作用して、偉業を成し遂げたり、するのだと思います。

とすると、中学生くらいの勢いをもちつつも、日々自分がなすべきことに打ち込むのが一番、自分の能力を開花させるにふさわしい生き方なのではないか、と思うのです。

そう思って中学生の頃のように挑戦することを恐れず、それでいて良識な判断をもって日々生活していきたいな、と思っています。

何はともあれ、

セリーナ・ウィリアムズへ、

ウィンブルドン優勝おめでとうございます。」