予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

目標を先に公言すべきか

名だたるスポーツ選手や有名人は、テレビで、目標を公言した方が良い、ということを良く語っています。

そのことを聞く度に、私は頭を悩まされます。

私は、今まで一貫して、「言わない派」でした。

そして、これからも、その傾向は基本的には変わらないであろう、と思っています。

しかし、私とは違う意見の人間が、世の中に、しかも目標を達成した人の中にいることに驚いています。

実際に、イチロー選手や本田圭介選手は、子供のころに将来の夢について(人に見せる形態で)具体的に書いたことを成し遂げています。

それに向かっていく姿勢や、達成するまでの努力は、尊敬に値します。

また、松岡修造さんは、もっとはっきりと「目標は公言しろ」と言っています。

彼が言うには、公言すると、自分の目標から逃げられない状況に、自分を追い込めるから、その方が良い、ということです。

公言して、できなかったら恥ずかしい、という気持ちで言わないのは良くない、ということなのです。

ただ私は、目標を先に人に言ってしまうと、責任感が生じ、それに打ちのめされると信じて疑わないのです。

実際に、何らかの競争において何を目指すか、という話題になると、「そんなの、トップを目指すに決まっているじゃん」と内心思いながら、それを言えない自分がいます。

そして、自分が本当に目指しているものを口に出してしまうと、途端に嘘くさくなり、自分の中の確固たる思いまで揺らいでしまうのを、実感するのです。

それは、弓を射る的を絞り込んでいたのに、突然それがぼやけてしまうほどに、集中力を欠如させます。

そして、目標を成し遂げようとする気概すら、失われていることに気づかされるのです。

そんな自分の心境を知っている私は、極力目標は人に言わないようにしてきました。

それによって、その間、誰の思惑にも左右されることなく、自分の目標に向かって邁進できます。

勉強においても、お稽古事においても、です。

そして、もう自分のなすべき事をし尽くし、あとは天命を待つのみ、という状況に至って初めて公言するのです。

公言というより、もう私にとっては結果報告です。

このやり方は、一定程度、功を奏したと自分では思っています。

そう考えると、おそらく、自分の目標から目を離さない状況にする、という点において、前述の「公言する派」の人の目指すべきところと、本質的には同じなのではないか、と思うのです。

自分さえ、目標に向かう確固たる姿勢をもっていれば、公言を「する派」か「しない派」か、というのは枝葉末節の議論にすぎないのかもしれません。