予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

学歴社会の歪、オーバーエデュケーション問題

先日(2016/7/6)のオイコノミア(Eテレ)で興味深い話が出てきました。

題して、「オーバーエデュケーション問題」。

その前提として、現代社会において皆大学に行きたがるのは、大卒と高卒で初任給が違うからだ、ということがあります。

しかし、そうやって皆が大学に行くようになると、大卒であっても一部の人間は、高卒の人間がするような仕事にしか就けなくなり、その場(例えば工場での作業場)においては、周囲と比較して異様に学歴が高い、という現象が生じるようになります。

これを、オーバーエデュケーションといいます。

それは、私も共感します。

新卒で就職活動をしている際、当時就きたい仕事が明確でなかったということもあり、手当たり次第受けて、落とされていました。

そして最終的に、拾ってくれた会社に入社するのですが、そこでは私は学歴が高い、とみなされていました。

他の人も一応大学は出ていたので、私の大学名について、言われていたのだと思います。

当時私は、大学院に入る前であった上に、大学受験で失敗したこともあり、自分の学歴の低さはコンプレックスでした。

職場での体験で、その感覚は相対的なものであって、場所によって学歴が高くなったり低くなったりするものなのだ、と理論としては納得したものの、私個人の見解としてはとても自分が「学歴が高い」とは思えないのでした。

そしてそれは私以外の大卒者にあてはまることであると思います。

私は地元の求人誌をよく見るのですが、そこに掲載されているそれぞれの募集要件に大卒と記載されているものが少ないのです。

とすると、ほぼ全員が大学へ行く現代の状況において、たとえ大卒であっても、「大卒」者に対するものとして企業が提示した給料をもらって仕事をする人は半数に満たないのではないか、と思うのです。

そして、大卒であれ高卒であれ、企業に頼らず、個人で何とかしなければならない時代が来ているのだ、と私は感じました。

特に起業家になって、かつ成功する人、というのは、ホリエモン堀江貴文さん)のようなごく一部の例外を除いて、学歴が高くない人が多いと思います。

それも御本人の内面を察すると納得です。

学歴が高いとかえって守りに入ってしまい、大きな勝負に出ようとしない、またはそれをするメリットがリスクと比較すると少ないと本人が感じる、のではないでしょうか。

そう考えると、ただ、学歴を得るためだけに大学へ行く、というのは、保険になるどころか、ともすればリスクにすらなりかねないな、と思いました。