予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

異邦人の特権

私は、公共の場でいて、無礼なことをされていても、それが日本語能力に乏しい外国人であると分かると、寛容な気持ちなることに気が付きました。

それを最初に感じたのはビジネスホテルのフロント前において、一人で待機しているときです。

そこは、私にとって静かにしてほしい場所であり、数名の人間がざわざわ話をしていると通常ならば、不快な気持ちになる場所です。

しかし、その言葉が、欧米の言葉と思われる、外国語であることが分かると、途端に不快感が薄らいでいったのです。

「まぁ、日本に慣れていないなら、仕方ないか。」

そう思ったのです。

また私のこの思いは、他の静かにしてほしい場所、図書館であっても、同じでした。

おそらく、私は、無礼な行為そのものに対してではなく、無礼な行為であることを分かっていながら、あえてそれをする人間性に対して不快感をかんじていたのでしょう。

もっとも、この感覚は人それぞれのものであり、他の人によっては真逆の場合もあり得るのだ、ということを、実感した瞬間もありました。

それは、(静寂さを要される某施設の中である)公共の場において、20代の中国人の男女二人がこそこそと長時間にわたり、話していた際、近くにいた、20代の学生と思しき男性が「うるっせー」と言いながら机を思いっきり叩いた時です。

その人にとっては、意味のないことを延々と聞かされることが、何より気分を害するものだったのでしょう。

そういう人は、逆に相手が日本人であった場合は、なんとなく話の内容が分かり、なぁなぁで済まし、怒りを爆発させることはないのだろうな、と私は思うのです。

さらに、話を一歩押し進めると、人間同士は、それぞれ絶対に分かり合えない領域があると思うのです。

そのことを分かって接する、つまり互いを異邦人とみなして接すると、他者に対して怒りがこみ上げることも無く、もっと寛容になれるのではないか、と思うのです。

すぐに実践するには、なかなか難しいですが、それも習慣によってなせる業であると思っています。