予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

祝☆バドミントン五輪、松友、高橋ペア金メダル

松友、高橋ペアがオリンピックで金メダルを取り、日本のバドミントン界における快挙となりました。

何より松友さん、高橋さん、彼女に関わった人達、おめでとうございます。

さて、私はここで二人が地方出身であることに着目したいと思います。

東京一極集中の状況において、今回の五輪のメダリストに、意外と地方出身者が多いことに驚かされます。

このことは、体操男子(内村選手、田中選手等)について、まず思いました。

そして、バドミントン選手においても、またしかり、です。

彼女達は、中学校までに頭角をあらわしていたとはいえ、中学生までは地元にいました。

彼女達をオリンピック選手にせしめた要因は、高校入学時点における強豪校への進学にあると思います。

県外の私立に通う事で、地元にいるだけでは養えない、意識の高さを身に付けたのだと思います。

特に松友選手は、徳島中学において成績もトップクラスであったということから、その時点においていろんな将来の可能性を秘めていたと思います。

彼女は高校進学の段階において、自身の将来をバドミントンに絞り込んだのです。それが、成功の要因だったのではないか、と私は思うのです。

もし、進学に絞り込んでいたら、進学の道を切り開いていたことでしょう。

高校入学の段階で、高校卒業後の進路を絞り込むことが成功の秘訣ではないか、と私は思います。

また、その証拠に彼女(松友さん)は、俗に難関大学と言われる大学には進学できていません。

もちろん、彼女にとってはそれで正解です。

しかし、逆に大学進学において(俗世間が言う)良い大学に行こうとするならば、高校もそれなりの進学校に行っておかないと、入学後の三年間が地獄だろうな、と思うのです。

例えば、中学時代に、もうこれ以上ないというほどの成績を取った人が、東大や国公立の医学部進学を志望しているにも関わらず、地元の公立高校に行こうものならば、自分の大学進学をあきらめたのと、半ば同じだな、と私は現状の大人の視点から思います。

本の学校教育は、その効率性から集団生活を強いられます。

その中で多感な十代の人間がもっとも影響を受けるのは、学校で出会う同級生や先生ではないでしょうか。

そういう人達が、高い志をもっていない又はもてない状況にある中で、自分一人だけ高みを目指すというのは、拷問に近いものがあると思います。

しかも、十代そこそこの少年少女にとっては、その苦痛は計り知れないものです。

当然、高校卒業後の進路では、世間が評価するような道を歩むことは困難となるでしょう。

保守的な親は、「15、6歳から親元を離れてというのも…、大変では」と言うかもしれません。

しかし私は、何かの分野でプロフェッショナルになる大人になるための前段階としての十代だからこそ、親元を離れて自分自身を磨く必要がある、と思うのです。

そして、それを子供のためを思うならば、目指すべきです。

血がつながっている、というだけで子供の才能が開花する専門分野で適切な指導をできない親元にいるよりも、その分野での第一人者、またはそれに準じるほどの専門家から適切な指導を受けた方が、ずっと子供の能力の開花の助けとなると思うのです。

身近な存在として、親戚の子供を思い浮かべたとき、その子にも、一つのオリジナルな人格をもった人間として、自分の能力を高めるための道を歩んでいってほしいな、と思います。