人間失格(by太宰治)を読んで
これを読んだのは、斜陽よりも前で、あらすじや構成は何となく(他の本による引用、解説等により)知っていました。
そして、本の中の「はしがき」、「あとがき」で出てくる「私」も手記の書き手である「大庭葉蔵」も筆者の考えを語る主体なのだ、という印象を受けました。
それこそ、「私」という主体で語る(小説としてもっとも書きやすい)手法をとりながら、客観的視点としての筆者の視点を取り入れ、フィクションとして仕上げている、成功例だな、と思いました。
この手法は用意に真似できそうですが、内容(ストーリー)および表現は彼特有のものであり、なかなか真似できるものではありません。
どの表現が、どのように優れているか、を語ることが無意味なほど、一つ一つの表現が的確で、それでいて斬新さもあり、作者の意図したものが、読者にイメージしやすく仕上がっていました。
内容的には、孤独を突き詰めた人間の姿を見せられる感じで、まだ自分の内部にもその存在を見せられるようで、心に刺さりました。
その内容から、読者は訴えかけられずにいられないのだ、と思いました。