太宰治の作品(斜陽、人間失格、おさん、如是我聞)を読んで
以前から読みたいと思っていた、太宰治の小説、
人間失格、斜陽、おさん、如是我聞を読みました。今年の5月、6月のことです。
内容としては、その時代ならではのものがあり、すべての面で共感できるというわけではありませんでしたが、太宰治を作家・太宰治たらしめているものを見た気がしました。
なんといっても、その感性の的確な描写と、その構成力の高さです。
表現においては、個人の感性に加えてたゆまぬ努力が必要で、なかなか真似できるものではないものの、構成においてはすぐにでも見習うべきところがあるなぁ、と思いました。
普通の人(プロの小説家でない人)が小説を書こうとすると、一人称がもっとも書きやすいため、一人称で書こうとするのですが、そうすると単なる自分の体験記のようになってしまいかねません。このようなものは、自分史以上のものにはならないと思います。
そういう文章にならないようにするため、自分の価値観が反映されたフィクションも適度に取り込んで記述しなければなりません。もっとも、基盤となるその価値観が明確で、はっとさせるものでなくてはならず、通常はその段階で差が出ているのではないか、と思います。
またフィクションを取り入れるにあたっても、いかにも、な感じになってしまい、ご都合主義な記載になってしまうことが多いのではないでしょうか。
逆に、主人公を「私」ではなく別人にした場合、筆者が書いていることに変わりはないため、主人公にあまりに筆者の意見を言わせてしまって、不自然、というか稚拙に見えてしまいがちになります。
かといって、客観的に書こうとすると、そこに自分の感性や価値観を投影させるため、内容、表現面において何らかの工夫をすることが必須です。
そう考えると、小説としての体裁を保ちつつ、自分の感性や考えを描くことは、なかなか難しいなぁ、と思います。
やはりそこは、練習あるのみ、です。