大江健三郎さんの「自薦短編」を読んで
私は、少なくとも小学生の頃までは、本を読まない子供でした。
そのくせ、学校で良い成績を取るための勉強だけはしっかりとしている、子供でした。
そして学校で義務付けられた日々の日記は、しっかりと書いていたことから、それを先生に褒められることもありました。
その際、書いたこと自体ではなく、書いている内容や表現が褒められたのには、驚きながらも喜びを感じました。
このようなことから、学校の先生からみて私は、特段、本嫌いが深刻な子供ではなかったと思います。
自分のそのような立場に完全に甘んじていた私から、本を読む、という動機を得る機会はますます遠のいていきました。
そんな私の姿を見て、本好きの姉や母は私の将来を憂いたのか、私にことあるごとに読書を勧めてきました。
そして、中学生になり、その勧めにも本気度が増し、短編ならば、本嫌いな子でも読めるであろうと、短編を勧めてきました。
そのような経緯で最初に読んだ短編が、「シェイクスピア物語」です。
私はそれを読んで、本の魅力を初めて実感しました。
特に好きなのは「ハムレット」で、最後のシーンでハムレットの母親が「毒に殺された」と言う瞬間にもっとも感動しました。ただ、中学の読書感想画で「ハムレット」を題材としたのは、失敗であったと思っています。
どす黒い絵になってしまい、あまり見ていて気持ちの良いものではありませんでした。
それからも、気になった本は、たまにですが、読むようになりました。
あの頃、シェイクスピア物語によって得られた衝撃は、今でも鮮明に脳裏に浮かべることができ、そのせいか、今でも長編よりも短編の方が好きです。
たとえシェイクスピアによる著作でも、戯曲の形式で書かれたものは、今でも読む気がしません。
そして最近、最近大江健三郎さんの短編集を、幸運にも見つけることができました。
大江健三郎さんによる自薦短編の中で、最初に読んだのは「セブンティーン」です。
17歳の誕生日を契機とする、主人公の自身の物理的、心理的変化に伴う葛藤を描いている作品です。
この短編は正式には68頁でしたが、大江さんの作品は一ページの記述が表現、内容面において密度が濃く、長く感じました。
他の20ページほどの短編でも、その(私の日常からは隔離された)世界観を見事に表現していました。
私は、短編好きが高じて、自身でも短編を書いているのですが、「セブンティーン」を読んだときに、自分の短編は全くダメじゃないか、と思ってややショックを受けました。
「セブンティーン」は、私からみると、現代版「人間失格」でした。
自分のダメさを、実感している主人公の心境がひしひしと伝わってきます。
いつの時代も、青少年は、こういう悩み、葛藤を抱えて生きているのだろうな、と思います。
そして、それは時代を超えて若い人、又は若さをもって生きている人を共感させ、励ますのだろうな、と思います。
若いころは、自分の体験が、何か特別なもののような感じがして、自分はヤバいんじゃないか、とかいろいろ考えるのだと思います。
そのような思いを小説にしようとすると、抽象的な思索の叙述になりそうなところを、本作品においては、具体的な学校での体験を詳細に述べることで、読者に作者の体験を追体験させ、作者の言わんとすることを精密に伝えているのです。
短編を創作する私にとって、良い勉強となりました。