司法試験、合格発表について
司法試験の合格発表について、当事者として、思うところを語りました。
司法試験に落ちたあなたへ(2)
【合格者のマインドについて】
後輩
司法試験合格者のゼミを受講していたり、答案添削をしてもらったりしていると、「受験生の皆が書くことを、当たり前に書く」ということを、よく言われることに気付きました。
他にも、「皆、受かりたいから、択一試験はしっかり勉強するんだよ」とか、「皆、この時期に勉強しているから…」といった具合に、『皆…だから』という表現を使うことが多いんだな、という印象を受けました。
自分としては、合格者の口からそういう言葉が頻繁に出てくるのは、不思議だな、と思います。
何故なら、弁護士という肩書きを持つことが、私にとっては、『特別なこと』であって、そのための試験に合格するためには何か特別なことをしなければいけないんじゃないか、と考えるのが自然なように私には思えるからです。
また、大学教授として評価が高い先生や、某大手司法試験予備校の大御所と呼ばれる方は、いわゆる『法律家としての心得』を声高にのたまわれています。
そういう発言を聞いていても、何か自分ならではの考え方が、法律家を志す者として重要だと感じました。
そのため、試験勉強をするにあたっては、『自分が』という感覚が、大事だと思っていたのですが、本当は、『皆がやっていることだから』という感覚が、試験においては、大事なのかな、と思い始めました。
先輩
なるほど。
私も、その点について、勉強を始めた当初は、疑問に思い、葛藤がありました。
これは、司法試験の問題の傾向及びそれに対応するための受験勉強と、法律家、特に弁護士になってから要される能力との相違に関わるものだと思います。
試験勉強においては、司法試験の傾向を、過去問分析によってしっかりと掴みとり、自分を試験の傾向に適応させることが何より大事です。
この国で最難関といわれる、司法試験といっても、毎年千人以上を合格させなければならない『試験』である以上、『傾向』というものが、必ず存在します。
そして、本番で出された当該問題に適応した程度が高い順に、順位がつけられ、合格させる人数分の順位までの者を、『合格者』とするわけです。
このように、試験の『合格者』が何を意味するか、を考えると、あくまで試験における紙面上の対応であることが分かります。
しかしながら、一度(ひとたび)試験に合格してしまうと、世間の様々な問題に応じた妥当な解決が求められます。
この世の紛争というものの大半が、人と人との間で生じるものであり、その背後には人間の弱さや醜い欲望が存在していることも多々あります。
法律家として、自分の担当する事件に対して適切に対応するためには、真摯に当事者の思いと向き合わなければならない場合が多くあると予想されます。
ただ機械的に試験の傾向に沿った勉強をして、試験に合格するだけでは、法律家として要される能力は、身につかない、と思います。
試験勉強と並行して、時事問題にも関心を持ち、何らかの事件に対して、『本件の場合はどういう解決策が妥当か』を考える習慣をつけることが法律家になろうとする者としては、大切なことだと思います。
こう考えると、試験の『合格者』というのは、あくまで試験に最低限度以上、適応できたことを意味するのであって、生身の人間を相手として事件に取り組む法律家としての適正という点では必ずしも『合格者』とはいえません。
志が十分に高くて、勤勉であり、法律家として社会で良い働きができると期待される人が、試験に適応できずに、落ちてしまい、法律家の道を断念する、というケースもあると思います。
他方で、司法試験には合格したけれど、実務においては、順応することができず、心身の不調から、法律家の仕事を辞めてしまう人も相当数いる、というのを聞いたことがあります。また、実際に私も、法律家の仕事を辞めた人のブログを拝見したことがあります。
それは、現行の試験の一つの大きな課題だと思います。
旧司法試験においても、優秀と言われる人間がなかなか試験に合格せずに、働き盛りの若い頃の人生を棒に振ってしまう、というケースが多々あり、社会問題にまでなった、というのを聞いたことがあります。
司法試験を主催する側である司法試験委員会、ひいては国も、そういう社会問題を解消すべく、試験の制度が何年かごとに変わってきました。
同じ成績であれば、二十代の若い人を優先的に合格させる案や、旧司法試験を廃止して法科大学院の進学を要件とすることが、試験制度の大きな変遷の例と言えます。
それでも、この問題は解決していないのが現状だと私は思います。
後輩
やはり、試験で、法律家としての素養を測るのは、難しいのですね。
訴訟大国であるアメリカとは、日本は状況が異なりますから、安易に法律家を増やして法律家の仕事の分野を多岐にわたらせる、というのも、現実の社会にそぐわないのだろうな、と思います。
先輩
そうなんです。
でも、今のあなたのように、この世のあらゆる問題を自分の頭で考えられることは、法律家の素養という点では、良い線をいっている、と私は思います。
私も、学生時代、合格者の先輩方が、何故『皆、こうやってるよね』とか、『自分は、こうだったから』とかを強調して言うのか分かりませんでした。
一つ、印象的なエピソードを出します。
ーーーー
私が大学生の頃、いわゆる短期合格者の、先輩と試験勉強について質問できる機会がありました。
その時、私は『どの参考書を使用するべきか』『どの時期に、集中して勉強すべきか』等を質問したのですが、相手の反応から、それが的外れであることが分かりました。
相手の方は、『自分は』どのような手段をとったか、ということを強調されていました。
それは、印象的でした。
あくまで私の予想ですが、その方の内面に、多くの受験生の一人であるという意識と、自分ならではの試験戦略のもとで自分が努力をしたという意識があり、葛藤が生じていたのだろう、と思います。
何かの試験に合格したから、絶対的な満足感が保障される、というわけではないのだ、ということは漠然と理解できました。
ーーー
後輩
まだ私の中で、答えは出ませんが、
試験勉強をしていたら、『皆が書くことを書く』というのが、大事なんだな、というのは何となく分かりました。
先輩
はい、そういう感覚は、試験対策上、必須です。
やはり、試験に向けて正しい方向をもって受験勉強をしている人は、試験に受かるのが当然で、落ちるのが特別な事件、といえる、と思います。
ーーーーーー法律家を志す旨味について
後輩
先輩の話を聞いていたら、試験の合否や成績以上に、人間としてどうあるべきか、が大事なのだと思わされます。
弁護士、検察官、裁判官、といった法律家になりたい、と言う人を見た時、私は、何となくではありますが、胡散臭いな、と思うことが多々ありました。
法律の勉強が好きで、法律によって人助けしたい、というのならまだ分かるのですが、『弁護士』とか『検察官』といった肩書きを出して、夢を語る時、その職業特有の待遇の良さなどに惹かれて、なりたいと思っているんだろうな、と感じたのです。
実際に、職業に就いている人を見ると、しっかり中身も身についているので、特段、不服ではないのですが、受験生の発言から透けて見える世俗的価値観を考えると、何だかなぁ、と思わされます。
先輩
たしかに、二十歳前後若い人が職業を考えるとき、どうしても、その待遇の良さを考えてしまいがちです。
自分の得意分野といえる仕事内容であっても、社会的に地位が低く待遇も悪いとなれば、進路変更をする人が大勢いたとしても、不思議ではありません。
かく言う私も、そうのように、将来なりたい職業を社会的地位や給料の高さなどで判断していました。
ただ、法律を勉強し出して、その考えが若干変わりました。
人間が生活するのに、最低限のお金は必要ですが、大金は必要ありません。日常的に大金を使う人間というのは、どこか生活を改めた方が良いのではないか、と私は思います。
また、法律家という真っ当な仕事をして、それなりの高取得者となると、それに相当する労力も責任も通常は伴いますから、特段、得しているとは思いません。
それに、受験生の頃から、勉強そのものではなく、法律家という肩書きから得られる旨味ばかりを考えていたのでは、試験勉強そのものの成果も十分に出ないことは想像に難くありません。
やはり、誤った考えを持つと良い結果が得られず、良い心がけをすると喜ばしいことが人生で生じるのだと、私は思います。
ーーー司法試験のあり方について、
後輩「先輩のお話聞いていたからこそ思ったことですが、私の周りでは、法律家として何がしたいか、ではなく、最難関の試験としての司法試験というもののステイタスに惹かれて、受験しようとする人が多いように思います。聞くところによると、弁護士としての適性があっても司法試験に落ちて法律家の仕事を諦める人もいれば、試験のステイタスに惹かれて受験して受かったものの仕事には精力的に打ち込めなかったというケースもあるらしいです。もしそういうことが、多く生じているならば、この試験の意義についても、考えるべきことのように思います。」
先輩「たしかに、現状、司法試験は日本でもっとも難しい試験と言われています。そういう社会的評価は、やはり未だ確固たる人生観をもっていない若い人には魅力的です。大学受験で東大を目指すのと同じようなノリで、難しいから目指す、という人が多いのも事実です。大学まで、勉強が得意な人間として、ずっと生きてきた人間にとっては、ある意味で当然の思考方法かもしれません。
しかも、東大受験者のように、記述式試験に慣れている人間の方が、論文式試験に心理的抵抗が少なく、結果として合格率が高いというのも事実です。
でも、実際には、勉強ばかりではなく、他のことを熱中してやってきた人の方が、人間としてのバイタリティがあって活躍する、というケースもあると思います。本当にそこは、人それぞれです」
ーーーーーー続きはnoteにて公開
司法試験に落ちたあなたへ
【同じ大学の法学部を卒業した先輩と後輩(受験生)の、ある日の会話】
後輩
先輩、今年度受験した司法試験に、落ちてしまいました。
今まで、自分なりに一生懸命勉強してきたと思っていたのに、すごく悔しいです。
そして、悲しくて、辛いです。
言葉に出ないほどです。
先輩は、現在は、合格して実務で立派に仕事されていますが、落ちた御経験もあると聞きました。
落ちた時、どのように気持ちを立て直しましたか?
そして、後輩へのアドバイスとして、どういう気持ちで、これからの勉強にのぞめば良いと思われますか。
先輩
落ちたことは、非常に残念です。私も、昔、体験したことがあります。
ただ、一つだけ言えるのは、『試験に落ちた』という事実は、あなたが受験した当該試験の一定の点数に足りていなかったというだけのことであって、人格が否定されたわけではありません。
あなたの魅力が、失われたわけではありません。
また、仮に受かっていたとしても、当該試験において、一定の点数を超えていたというだけのことであって、あなたの魅力が急に増したとか、いきなり人格者になったというわけはありません。
驚かれるかもしれませんが、私は今でも、落ちた時のことを鮮明に覚えています。
同時の心境を、YouTubeで公開したわけでもないのに、です。
さらに驚かれるかもしれませんが、私は、(もう旧司法試験時代のことになりますが)落ちて良かったと思っています。
その後、必死で勉強しました。最初は図書館に行っていましたが、身なりを整えるのが面倒で、家で勉強していました。
実家で浪人していたので、食料等の買い物は全て親に任せていました。
朝起きで、主に過去問を解きまくりました。
あまりに、体を動かさないと健康に悪いということで、家にあったランニングマシーンで走ったり、家の周辺をウォーキングしたりしました。それも、平日の昼間だと、人目が気になるというのもあって、夕方以降に歩いていました。
たまに、不審者のような人も見かけましたが、人間として、最低限の健康を維持する必要があったので、ウォーキングは、私にとって、死活問題でした。
時々、自分は、刑務所にいる受刑者と、大して変わらない生活をしているではないか、と思いました。でも、それで良いじゃないか、とも思いました。
後輩
先輩でも、そんな時期があったのですね。興味深いです。
先輩
はい、今思えば、その時の経験が、現在の自分の人格や思考を形成しています。
おこがましいかもしれませんが、社会的に、弱い者の気持ちが分かるようになったのです。
現在、いじめとか、格差社会とか、そういうものに興味を持つようになったのは、私の受験体験があったからです。
そういう受験体験が無ければ、そういう社会的な問題に興味を持たなかったように思います。
後輩
たしかにそうですよね。
先輩は、地元の進学校を卒業して、大学でも優秀な成績で卒業されています。その上、何より、容姿にも恵まれています。
社会的に、恵まれた人、という印象を抱いています。
先輩
確かに、中高生の頃から、私は恵まれた人間、だったように思います。
司法試験に落ちて、初めて大きな挫折を味わいました。ただ、それはとても貴重な体験で、今となっては、落としてくれた司法試験委員会に、心から感謝しています。
司法試験に対して、ただ受かれば良いんだ、と浅い考えで試験に臨んでいました。
試験問題の深さに、到達出来ていませんでした。
ただ、不合格後、地獄のような試験勉強期間を経て、本番で、試験問題の深さに、感動できたのです。
出題者は、こういうことを求めていたのか、と。
後輩
私も、その深みに、早く辿り着きたいです。
先輩
焦りは禁物です。
私の話したことも、所詮は、結果的に合格した人間の綺麗事だと、片付ける人間もいるでしょう。
もしかしたら昔の自分も、そういう腐っていた時期があったかもしれません。
私の話を、どう受けとるのか、それはあなた次第です。
終局的には、合格とか不合格とか、そういう客観的なものに左右されない、自分の内面というものが出来上がります。
自分の感じたこと、考えたこと、は誰にも奪われません。
私の敬愛するシェイクスピアの言葉を借りて言うと、『この世の中に、不幸も幸福も存在しない、ただ考え方があるだけだ』と思います。
後輩
ありがとうございます。まだ傷は癒えませんが、一歩一歩前に進んでいきたいと思います。
自作小説 『理想の恋愛 【対話編】』
理想の恋愛 【対話】
比較的若い法律家と、法律に疎い若手経営者との、いわゆるマッチングサービスで、マッチングしたということであった。
『若い』とは言っても、弁護士と経営者なのだから、最低でも、二十代後半にはなっており、大半は、三十歳を優に超えている人間であった。
意義のある人生を送っている人が多いためか、顔のつくりの良し悪しに関係なく、魅力的な表情の人間が多かった。
彼らの内面の美しさは、外見を凌駕すると言うのが、ふさわしい表現であった。
そのサービスに登録する段階で、身分証明書を提出して、自分の職業と所属先を明示しているため、相手の身元は確かなのだが、会って互いに名刺交換をするまでは、互いに許可した情報しか相手に知られないという仕組みになっていた。
それぞれが、信用に足りる人間という評価を受け、かつ社会的地位が高いからこそ可能なシステムとなっていた。
双方が会う場所は、特段の決まりは無いのであるが、大抵は、都内の高層ビルの最上階のレストランであった。
そのビルは、近年、都内に建てられたもので、商業施設と住居、そしてオフィスが中に入っていた。
いわゆるエグゼクティブのマッチングで当事者が会う場所としては、あまりにもベタな場所で、当事者を安心させるに足りるものであった。
ーーーー
その日も、都内の高層ビルを見下ろすテーブル席で、一組の社会人が、会合を行おうとしていた。
一方は、人権派弁護士であった。
他方は、新進気鋭のIT企業の経営者であった。
いずれも三十代の独身で、弁護士が女性で、経営者が男性であった。
「はじめまして、真宮理香子です」
「はじめまして、笠川晶です」
その名前を聞いて、互いに反応した後、受け取った名刺を見た。
女性は、男性の右目の下のクマを見た。
他方で男性は、女性の細くて長い指を見た。
そこには小さな傷跡があった。
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男性は、彼女の右手の甲の人差し指と中指のつけ根の間にある傷跡を見ながら、高校生の頃、自分が魅了された女性を思い出した。
その女性の右手の同じ場所にも、傷跡があった。
昔、ピアノを習っている同世代の女子が、モーツァルトの曲を弾いている時に、曲に沿って、思うように指が動かないから、と自分の指をハサミで斬りつけた、というのを風の便りで聞いたことがあった。
バカバカしいエピソードだとして笑う人もいたが、僕はそこに人間の真の姿を見たような気がして笑えなかった。
ゴッホが、狂人になり自分の耳を切り落としたように、他の人には無い才能に恵まれてしまった人間は、その才能に苦しめられる。そういうことを、机上の空論ではなく、何となくではあるが実感するように僕はなっていた。
彼女の、細くて長い、そして時に自由自在に躍動する指は、僕には生涯ほとんど関係ないと思われた、そんな遠い記憶を思い出させた。
それは彼が高校生の頃に激しく魅了された、ある女性の指と寸分違わぬものであった。
そして、自分が魅了された、当時女子高生であった女性も、そういう激しい感情を内に秘めているのでは、と感じた。
その激しさを、僕だけが知っているような錯覚を覚え、多少なりとも気分が高揚し、時に優越感を覚えた。
彼女の指は、ピアノを弾いていないにも関わらず、その指を見るたびに、何か物語を奏でているように感じた。
僕は彼女の魅力に取り憑かれていた。
いつしか僕は、彼女の外見だけではなく、内面にまで魅了されていた。
気がつくと、高校生の頃の彼女が、脳裏に浮かんだ。
ーーー
高二の頃、彼女を、言わばダシにして、勉強に打ち込んだことを思い出した。
彼女が勉強を頑張っていることに刺激されて、僕も勉強を頑張った、と言えば聞こえは良い。たが、彼女に勝ちたくて、また彼女に近づきたくて勉強を頑張った十代の頃の自分を振り返ると、『彼女をダシにした』という表現が何となくしっくりくるのだ。
そして、結果として、
彼女は、大学受験で第一志望の大学に行けなかったのに、僕は行けた。
そういう事実を突きつけられた気がして、僅かばかりの罪悪感を覚えた。
ーーーー
女性は、男性の右目の泣き袋とクマを見た。
そして高校時代に魅了された彼のことを思い出した。
彼は、同じ塾に通っていた、一学年下の他校の高校生であった。
塾が好きなのか、勉強が得意なのか、自習室やフロアで、よく彼を見かけた。
偶然、近くで見た時、彼の右目下の泣き袋とクマが、左目のそれと比べて異様に大きいのを感じた。
それは、相当程度に目を酷使しているに違いない、と見る者をして思わせた。
それ以外にもいろいろと心労があるのだろうか、などと想像力を掻き立てた。
また、誰かが言っていた都市伝説的なことを思い出した。
泣き袋とクマが左右にあって、かつ右の方が大きい人は、何かのきっかけで、狂人になる人だと。
彼について、勉強ができる子というのは、塾の先生から聞いていたが、普通の優等生とは、異なっていた。
狂人になった彼とは、どんな存在なのか、見てみたかった。もしかしたら、もう既になっているかもしれなかった。
常に何かを考えているようで、目が伏し目がちなためか細く見えた。その姿は、目の下のクマと相まってとてつもなくクールな雰囲気を醸し出しているように見え、時にドラキュラ公みたいで、少し怖い感じもした。だが、何故か、私は彼に惹かれた。
彼を目にするたび、とてつもなく壮大な物語の一端を、垣間見た気がしたのだ。
ーー
男性に対して、女性は、やや冷たい印象を受けた。この世で偏差値しか信じない、という高校時代に習得した価値観が、今度は、業績等の数値になっているようであった。その甲斐あってか、会社の業績は、彼が経営者に就任してからうなぎ登りであった。
彼女もまた高校時代から有していた価値観が加速しているようであった。だが、内容の点において、彼とはその趣が異なっていた。
彼女は、高校時代から抱いていた、知性とか教養に対する憧れを、成就させているようであった。さらに知性や教養を深めるべく、文学を読んだり自ら話を作ったりしていた。
この、それぞれが持っている長所は、かつてそれぞれが相手を見て感じ取った価値観であり、それを自分のものとして習得したもので、いつしか自分の人生の主要な部分を構成するものとなっていた。
もっとも、相手の価値観が透けて見えたわけではないことを考えると、正確には、相手の置かれた環境から感じとった価値観、と言えようか。
ーーーーー
つまり、互いが、互いの印象から得た価値観を自分のものとして取り込んでおり、対峙したことで、昔の自分を、言わば鏡の前に立ったかのように見たのであった。
二人は互いに顔を見ながら、互いは、それぞれに思うところがあったようで、相手に向けて心の中で話しかけた。
ーーーー
まず、男性の言葉が女性の胸に鳴り響いた。それは、男性が、心の中で語りかけたものであった。
『貴方の凄さ、僕は知っているよ。今でも、もちろん周囲の皆は、貴方を凄い凄いと言ってくれるだろうけれど、僕は貴方の本当の凄さを知っているよ。
その美貌を売らないことを、惜しくないと言えるほどに勉強に打ち込んだこと。
そして何より、貴方が売らないと決めた、その美貌が、どれほど人を魅了するか、そして実際に魅了してきたか、を。
貴方が、どれほど仕事において有能な人間になろうとも、人々はその美貌に魅了されずにはいられないだろう。
いわば、貴方は、御自身の美貌から、逃れられないのです。
』
『私は、あなたの魅力、知っているわ。
あなたは、今でこそオシャレ好きで、擦れた雰囲気だけれど、高校生の頃はがむしゃらに勉強に打ち込む、一人の受験生だったよね。
今は、初々しい雰囲気のあった高校の頃とは、ちょっと違う雰囲気を醸し出しているよね。
個人的には、昔のあなたの方が、カッコよいと思うんだけどな。
さらに、凄くひたむきで、努力家で、そして一途な思いを持っていたよね。
あなたにとって私は、ただのオシャレで可愛い女の子として見られている可能性があるな、と思った。
でも、それで終わりたくないから、今まで努力してきて、今があるんだろうな、と思った。
無事、東大に進学して、経営者として精力的に仕事をしているあなたには、素直に、おめでとう、って言いたいな。
ーー
ー
『すまない、貴方を単なる性的対象として見てしまった。そして貴方の魅力を、僕の勉強へ向かう原動力にしていたんだ。こうして僕が第一志望の大学に受かって貴方が受からなかった事実を考えると、もしかしたら、僕は知らず知らずのうちに、貴方を、搾取していたのかもしれない』
ーーーーー続きはnoteにて。
自作小説 『天才の逆襲』
自作小説の一部を公開します。思いついたものを書き連ねたものですが、法学部生の感性などの一部が表れています。
ーーーーーーーー
『天才の逆襲』
「ギフテッド」
この言葉を聞いて、あなたはどんな人物像を思い浮かべるであろうか。
僕は、端的に言って、生きづらい人、という言葉が思い浮かぶ。
そもそも、思考の土俵が、周囲の多数の人間と異なるのだから、周囲に理解されないのは当然と言えば当然である。
一般に、彼らは、羨望や嫉妬の対象となりうる存在であるが、本人は、決して俗世間の人が思うような魅惑的な甘い蜜を吸ってはいない。それにも関わらず、何故か『恵まれた存在』として美化されがちである。
それが、さらに彼らを苦しめるのではないか。
天才とは何か。それは一般大衆と異なる存在であることを厭わず、そういう存在であり続ける勇気を持った人間である、と僕は思う。
このフレーズを聞いた場合、僕はかつてのある場面を思い出さずにはいられない。
母校でなされた、とあるパネルディスカッションである。
『天才とは何か』をテーマにして、某大学の法学教育について、ディスカッションがなされた。
某教授は、意気揚々に、その年の司法試験の短答式試験に通った在校生、三百人程度に向かって口火を切った。
「今日は、理想の法律家像について、議論しようと思います。それを敢えて今回は、『天才』と呼びます。幸運なことに、今日は、近年司法試験に合格した、当校の優秀な卒業生が、ディスカッションに参加してくれます。ではまず、こちらから、彼らに質問を投げかけ、応答してもらいますので、在校生の皆さんはお聞きください。」
続けて、彼は僕ら卒業生の一人に問いかけた。
「法科大学院、そして法学部での法学教育について、
どう思いますか?」
彼と目が合ったのであろうか、僕の同期の一人である女性が、軽く挙手をして、話し出した。彼女は、僕が尊敬する、もっとも優秀と思える同期生の一人であった。
「現状、法学教育について、あらゆる方面から疑問が投げかけられていますが、私が実際に見たものだけでも、問題がある、と感じたことがあるので、この場をお借りして語りたいと思います。
教授の言動は、思いのほか学生の心境に影響を与えると私は思います。
教授は、もっと教育者として自覚を持つべきだと思うのです。
ある教授は、御自身の社会的地位と合格実績ばかりに着目して、人的財産とか、精神性といった、法学教育にとっても、人間の教育にとっても最も大事なものを軽んじているように、感じました。
『僕が教えようが教えまいが、勉強するやつはするし、しない奴はしない。
変わらないんだ。』と言っていた教授がいました。
まず、その人は、自尊心がないんだなぁ、と思いました。さらに、人間が互いに影響を受けることが想定される、法科大学院とか法学部といった限られた空間に存在する人間にとって、教授がそういう発言をしたなら、幾分かは嫌な印象を受けると思います。
場合によっては、悪い影響を受けてしまう人もいるかもしれません。
もしかしたら、ある教授にとっては、御自身が熱心に仕事をしようがしまいが、あまり学生の成績が変わらない、ということもあるかもしれません。
たとえそうであったとしても私は、『そりゃそうなんだろうけれど、それを言ってしまうと元も子もないよね』って思うのです。
それに、教え子の成績は変わらなくとも、そういう発言をした教授の不誠実さは、十分に伝わると思うのです。
自己研鑽を、続けていくべき人間が、自己研鑽を怠った人間のなりの果ての姿を晒すのは、果たして許されて良いものか、と私は思うのです」
教授は、一瞬、表情が固まった。
「他には、法学教育において、どんな教育がなされるべきと思いますか」
「勉強をするということは、その対象が何であれ、新しいことを学ぶということですから、自分という人間が作り変えられていく、という側面が少なからずあると思います。その点を無視してはなりません。それを、ある教授は、『僕は昔から変わってないからね』と言っていました。それは教育者として、どうかな、と私は思いました。教授という社会的立場の高さから、そういうささいな失言は、見逃される傾向にありますが、そういう、些細な発言に、その人の人間性が表れると思うのです。御自身の怠惰さを、学生の前で披露するのは、果たしてどうなのかな、と私は思うのです」
教授の顔は、強ばっていた。
「なるほど、良い着眼点かもしれない」
彼は、一言、絞り出すのが精一杯であるようであった。
「私は、『天才』という言葉についても、思うところがあります。
私が思う『天才』とは、自分と他者の区別を明確に出来る人だと思うのです。ほとんどの人は、この世をなぁなぁで生きていますから、御本人が思われる以上に出来ていません。周囲から見て、『変わり者』に見える人間こそ、次世代を構築する、『天才』なのだと思います。そういう人間を、世の凡人が、『変な奴がいるぞ、変な奴がいるぞ』と囃し立てたり、揶揄ったりするのを見てきました。その現場を見て、まさに凡人が、天才を抹消する構図が出来上がっているな、と感じたものです。人間、それほど強い人間はなかなかいませんから、同級生の前で、教授がそういう人間を吊し上げたら、対象となった学生は、自分の才能を開花できずに青年期を終えてしまうかもしれません。言った側としては、してやったり、といった状況かもしれませんが、そういう行為をして若い才能を潰すことが、ゆくゆくは御自身の精神を蝕むということまで、頭が回らないのでしょうか」
この話を聞いている間、教授の表情はますます固くなるばかりであった。
発言者である彼女は続けた。
「『天才』とは、この世で生かしてこそ価値があるものです。天才と呼べる人に、この世の問題の打開策を担わせたいならば、周囲の人間がそういう、『変わり者』に寛容にならなければなりません。大切に扱う、とも言えるかもしれません。残念ながら、『先生』と呼ばれる人の中にも、そういった『変わり者』を祭り上げて、揶揄う人もいます。そういう、俗世間の風潮から変えなくてはなりません。」
教授の表情は、いつのまにか、笑っていた。
それは、温かみのある心から湧いてくるものとは、ほど遠いもので、自嘲しているかの
ような、きみの悪い、渇いた笑みであった。
「あなたが言いたいことは、分かりました。あなたは、僕を非難したいのですね。」
「私は、『誰が』などを明らかにしたいわけではありません。ただ、そういう誤った言動をとる人間が、この世に一定数存在する以上、そういう現状を世の人が共有し、変えていかなくてはならないと思うのです。『誰が』を名指しで批判するほど、私は残酷な人間にはまだなりたくありません。それはもしかしたら、ある学生を変人だ変人だ、とのたもうた人間が、名指しで指摘していたからかもしれません」
教授は、相変わらず、渇いた笑みを浮かべていた。
「あなたが、批判したい、もっと言うと非難したい人間は、僕なんだね?」
「特に、非難したいわけではありません。ただどんなに素晴らしい人間であっても、批判されるべき点が、いくつかはあるものです。そして先生は、私にとって、卒業しても、『先生』です」
教授の笑みとは対照的に、彼女は、いつの間にか、満面の笑みを浮かべていた。
「なるほど、そういう批判的な能力が身についたのも、教授のおかげとも言えるよね。たとえ嫌な印象の教授であっても、あなたに、そういう、法学教育のあるべき姿を考えさせたのだから。」
教授の心の声が聞こえてきた。
『僕は、狙っていたんだ。そういうことをやってのけると思っていたんだ、と。それは教育上の目的でしたことだ、と。』
『
そうやって自分の下世話な行為を、正当化、美化するだけでなく、他人の業績を横取りしようとすること、やめましょうよ。
いい加減、自分の見苦しさに、気付きましょうよ。』
「あと、『何でも思っていること、言って良いんだよ』、と言っていた人がいましたが、現実的に考えて、自分の身の安全が確保されていなければ、思っていることなど何も言えませんよね。例えば、ここで言いたいことある人でも、御自身の立場とか身の安全が確保されていなければ、何も言えないと思うんですよね。御自身の立場が危うい状況で、言えますか?言いたいことが」
僕は改めて、教授の方を向いた。
「なるほど、たしかにそうかもしれん」
教授の一言に対して、僕の心の声が反応した。
『まさに、この状況が、でしょう』
僕の心の中で、自然と鳴り響いた言葉に、僕自身が驚かされた。
教授は、誰に求められたわけでもないのに、白状し出した。
「僕は、当初から、想定していたんだ。あなたのような優秀な学生が、批判能力を身につけて、立派な法律家になることを。
こうして、ダメな教授をたたき台にして、その怒りを、勉強のエネルギーに変えて、勉強に打ち込んで、一人前の法律家になることを、僕は当初から想定していたんだ。
あなたのような優秀な学生が、現状の法学教育に問題意識を感じて、自らの手で変えようという意欲と実行力を持てるように、僕は配慮したんだ。
上に立つ者が、あまりに出来すぎた人間なら、若い人は自信とやる気を無くしてしまうだろう。こんなにダメ人間でも、仕事やっていけるよって若い人に伝えたかったんだ。
」
僕はいつの間にか、言葉に出してしまった。
「あんた、本当に自由だな。
でも、優秀な学生の業績を全て自分のものとしようとするの、大人として見苦しいですよ。法学の教授として尊敬できない人であっても、せめて、この世を生きる大人としては、まともであって欲しいです。
これ以上、仮にも僕の大学の教授の、見苦しい姿を見ることは耐えられません」
目の前の、『優秀な学生』の集団は、静まりかえっていた。もう、今回の集まりはお開きにするべきだと思った。
僕は、この会合をまとめ出した。
「今回のお話によって、同じ法律家であっても、いろいろな考えがある、ということがよく分かったと思います。というわけで、本日のディスカッションは以上になります。」
確かなことと思えることがあった。
彼女は、教授の卑劣な内面、というか、低俗な内面を直視した上で、それに対して同じ土俵でやり返すのではなく、社会問題にまで広げ、自分の人間への洞察を深めたのであった。
それはさながら、傑作と呼べる芸術のようであった。
僕は彼女の表情を確認しようと、彼女をチラ見した。やや野暮な行為のように感じたものの、僕の好奇心は、野暮な行為を抑制出来なかった。
『してやったり』という表現が見て取れたなら、僕としても、『してやったり』という気持ちであった。
だが、彼女の表情には、憎悪や卑劣というものではなく、爽快感が見て取れた。
それは、憎しみを昇華できた人間だけが味わえる、特権のように見えた。
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しばらく押し黙っていた教授は、半ば負け惜しみ的に、発言した。
「そんな心持ちじゃ、大学でも、尊敬できる教授に出会えなかつたんじゃないのか。出会うべき人に出会っても、気づかずに、終わってしまったんじゃないのか。
そうならば、気の毒なことだ」
「いいえ、私は、心から尊敬できる人に出会えました。教育というものを、ご自身の背中を見せることによって、示してくださいました。あの方は、本当に素晴らしいお方でした。本当に、素晴らしいお方」
彼女の整った横顔は、さながら彫刻のようであった。その瞳は、見たこともないほど輝いていた。
これに対して、教授の表情はと言うと、完全に真逆であった。
これほどまで、真逆となる光と影を、僕は今まで見たことがなかった。
教授の表情を見ていると、いたたまれない気持ちになり、これ以上見るのは、無礼だと感じたほどであった。
僕は、そっと、目を背けた。
もしかしたら僕は、驕り高ぶった俗物が自分のしでかした無礼に対して報いを受けているのを見ることに罪の意識を感じ、それに恐怖する自分の弱さに耐えられなかっただけかもしれなかった。
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自作小説 ーーー哲学的思考『弁護士と舞台俳優』
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趣味の小説について、一部公開します。
ー哲学的思考『弁護士と舞台俳優』
それぞれは、まるで、光と影のようであった。
弁護士が裏で、マネジメントなどをしていた。チケットの代金設定、各方面、広告やプロモーション動画運営などの契約、そして著作権違反等について、チェックしていた。
いつしか、弁護士が、現場でも重要な役割になった。
俳優は、プライベートでは、地味なおじさんのようになっていた。10年以上前から使っている黒いキャップに、着古した感じのパーカーにジャージのズボンを履いていた。それが彼の普段の格好であった。その姿は、どことなく、やさぐれた印象を、見る者に与えた。
一方、弁護士は、日々頭を使っているために若々しかった。上下ジャージを着て、朝のウォーキングをしていても、
俳優は、肉体は、日頃から鍛えていたために引き締まっていたが、顔の表情や皺から年齢を重ねていることが、半ば残酷なほど見てとれた。
ある時、二人で、海外へ研修旅行に行き、舞台を鑑賞することになった。
事前に、舞台監督らにご挨拶にうかがっていたからか、舞台の人が最後のカーテンコールで二人を紹介した。
外国で有名な俳優とその代理人が来てくれています、と。
紹介された二人は、同時に立ちあがって軽く会釈するだけの挨拶をした。
その後、通りで、ファンと思しき人達に囲まれることになった。
大勢の人達が、握手を求めた。
求められた人間は、それに応じた。
地味なおじさんには、見向きもしなかった。
スーツをきた地味なおじさんは、表情を変えず、静かに見ていた。
カジュアルな格好の方は、若々しく、愛想も良かった。
まさにジェントルマンの振る舞いを見せていた。
後で、ホテルの夕食を一緒に取っている時に、今日のことについて話しかけた。
俳優、「さすが、こんな異国の地においても、上手くやってくれたな、」
弁護士「いいや、それほどでもぉ、いつもあなたを見ていますから」
俳優「あんたこそ、真の俳優だよ。」
弁護士「まぁ、そうかもしれません。時に相手を欺かなくてはなりませんから。良い訓練をさせて頂きました。いつものあなたの人気を見ているからです。」
俳優「僕も、あなたの気持ちが分かって良かったよ。これからも、ありがたく思いながら、俳優業を続けていきたいんだ」
弁護士「にしても、いつからだろうな。こうして、二人でいる時に、どちらが俳優でどちらが弁護士か説明しなくても、勝手に周囲が逆のバージョンで認識されるようになったのは。」
俳優「随分前じゃないかな。気がついた時にはそうなっていたよな。もしかしたら、それが、僕らの本当の適性を表しているのかもしれないな」
弁護士「ははは、そうかもしれないな。まぁ何に自分の適性があるかなんて、やってみないと分からないものだよ。
もし、適性が無かったとしても、何とか仕事はできるものだよ。自分の経験から分かるようにな』
俳優「たしかに、やってみないと分からないし、たとえ適性があったとしても、人生で失敗したり、上手くいかなかったりすること、たくさんありますよね。先生も、この仕事向いてないな、と思うことありますか」
弁護士「まあね。長くやっていたら何度かは、あるよね。でも、そこは悲観していないんだ。何故なら、法律というものは、現実の社会に応じた解釈適用がなされるべきものだから、現実の社会というものがある限り、必要とされる存在だと思うんだ。自分自身をアップデートしている限り、仕事はあるだろうし、既存の職業の枠にとらわれずに物事を考えていたら、もしかしたら既存の職業の概念を変えるほどのことが出来るかもしれないと思うんだ。それは、俳優も同じ、というか、むしろ顕著に表れるんじゃないかな。俳優は、時に時代を映す鏡にもなるのだから。昔の俳優と、今の俳優では、求められるものも、社会に与えるものも、異なると思うんだ」
俳優「あなたのおかげで、人生に深みが増した気がするんだ」
弁護士「私もあなたのおかげで、華やかな世界に生きる俳優としての視点を手に入れることができました。一般に、俳優というのは、華やかな印象がありますが、実際には、一般の人以上に地味な努力が必要なのだと感じました。」
俳優「たしかに。自分は地味な努力をするのが当たり前と思っていたのだけど、一般の人はそれを特別なものとしてみていて、さらに僕のことを特別な存在として見ているのだから、驚きだよ。俳優こそ、視聴者がいないと成り立たない職業で、視聴者の方々の恋愛感情を、影で支えている存在じゃないか、と思うんだ」
弁護士「たしかに。そもそも、光と影の定義も危ういと思うんだ。一般に、人に見られる職業が光で、人に見られない職業が影、と何となく皆思っているけれど、実際の生活を考えると、そうとも限らないと思うんだ。俳優であっても人に見られる時間というのは、生活のごくごく一部だし、しかもその時間すら照明や衣装やメイクによって作り上げた虚構なのだから。虚構に映えるように、ジムで鍛えたり走ったりはするけれど、それらのことは、ビジネスマンでも一定程度、すると思うんだ。」
俳優「そう。『虚構』という言葉を、今では前向きに捉えることができているんだ。多くの人は、虚構によって、活力が沸いたりするのだから」
弁護士「本当に、そうだよね。もしかしたら、この世で事実と思われていることすらも、虚構なのかもしれない。例えば、何らかの会見で、弁護士が、大勢の記者の前で話す時に、俳優以上に、衣服に気を使い、台詞とも言える言葉にも気を使う。そして、報道されて場合によっては、写真だけではなく、その一言一句が新聞に掲載されることもあるのだから」
俳優「そう考えると、やっぱり、俳優が光で、弁護士が影とは一概には言えないよね。実際の生活を営んでいると、むしろ僕は、弁護士が花形で、俳優は一般の人に見つからないように影を潜めるようにして生活しているんじゃないかな、と思うんだ」
弁護士「そう考えると、職業とはあくまで表層的なもので、子供の頃は『何になりたいか』よりも、『人間として、どうありたいか』の方を考えて生きるのが結果的に将来のためになると思うんだ。まぁ、僕は15歳くらいからそう思っていたんだけどね」
俳優「それを観念上のものとして認識しているか、自分の体験によって証明できたか、という違いは大きいよね。幸運にも、僕らはそれを経験によって学べたけれど、一生気づかずに、世間の固定観念を持ち続けてしまう人がいるよね」
弁護士「そう、それはそれで、気の毒なことだと思う。ただ、この世の中の教育にも原因があると思うんだ。学校で、将来何になりたいか、教師が質問する際に、生徒に対して職業を連想させてしまうんだ。それは良くない、と思うんだよね。どんな職業でも、ダメな人間入るわけだから」
俳優「そういうことを、弁護士の君が言ってくれて、本当に励まされるよ。職業、『俳優』って言ったら、現実的にはダメな人間の方が圧倒的に多いわけだから。『弁護士』と言われると、少なくとも司法試験には受かっているわけだし、職業威信も高い。その分責任も重くて、大変な仕事な訳だけれど、それでも、たまに社会の底辺の人間がするような卑猥な行為をして、逮捕されている。そういうのをニュースで見ると、人間、職業によって完全に信用はできないんだな、と思わされるんだ」
弁護士「まさにその通り。『弁護士』とか『大学教授』とか、『医者』のような立派な職に就いていなくても、素晴らしい人、立派な人は、たくさんいるわけだから。本当に、人によるのだと思うんだ」
弁護士「世の多くの人は、なんとなく、俳優は容姿端麗で、独自の世界観をもった人で、弁護士は真面目で堅実、という印象をもっているでしょうが」
俳優「僕も、自分が俳優になって、周囲を見渡して思ったのですが、容姿そのものに恵まれている人は、意外と少ないのです。むしろ、容姿にコンプレックスをもっている人が殊の外多かったのです。むしろ、弁護士さんの方が、容姿が整っていたり、自信が滲み出ていて、カッコ良い人が多い気がします」
弁護士「その点については、僕も思うところがあります。この仕事に就いてから、周囲を見渡してみて、思ったのは、意外と美男美女が多いな、ということです。皆、内面に自信と謙虚さを持っている、と感じます。そういう内面が外観に現れているのだと思います。
同時に、俳優の方が、容姿にコンプレックスを持つ人が多い、というのも納得できます。
俳優さんは、やはりまずは外見が注目されますから、否が応でも自分の外見が気になってしまうと思います。その点、弁護士は、外見で勝負しなくて良いので、皆あまり外見にコンプレックスを抱かない傾向にあるのだと思います」
俳優「たしかに俳優は、やはり容姿が良い方が注目されますから、多くの俳優は容姿を意識せざるを得ないのだと思います」
弁護士「僕もそう思います。俳優になりたがる人こそ、容姿にコンプレックスがあり、だからこそ演技や自分の見せ方を工夫したり、自分の魅力を磨く努力をするのだと思います。
知的職業と言われる弁護士の方が、自分、頭悪いと思っている。
俳優さんの方が、大学に行っていないのに、頭良いと思っている。これは一見不思議なことのように思えますが、理にかなっています」
俳優「ガリ勉になりたくなくて、カッコ良くなりたくて、俳優を目指すわけだから。
弁護士こそ、自分のことをガリ勉じゃなくてイケてる、と思っている場合がある、ということだよね」
弁護士「そうそう、そういうことって、意外とよくあるんだよね。だから、職業だけで、その人の性格などは一概に定義できないんだよね、実は。一般的には、職業によって、その人のスペックなどが定義されがちだけれど、真逆となっている場合も多々あるということなんだよね。まぁ、こういうことは私も大人になってから知ったことだけれど」
俳優「そうそう、そういう現実を知ることができるのは、その分野で当事者として活躍する者の醍醐味とも言えるかも知れないよね」
ーーーーー完成版はnoteにて。