予備試験を地方で独学受験やってみた。そして受かった。

予備試験を、東京から遠く離れた地方で、予備校の答練を使用せずしました。

56歳、元ミスキャンパスの焦燥

彼女は、いまは、都内の私立大学の大学教授。

 本名は、五嶋 祥子であるが、男子生徒の一部から、下の名前で呼ばれているのを彼女自身知っている。男子生生徒、と言っても首謀者と思しき人物は、今年で40歳になろうか、という男性であった。容易には人に言えない訳がありそうなのだが、あえてそこは触れずにいる。

 なぜわかるのか、と言われると、説明に困るのだが、強いて言えば、彼女の授業を最前列の真ん中の席で受けている彼の視線と、質問にかこつけて毎回の授業で話しかけてくる、言動から、そう感じるのだ。

実際には、さらに短い名称で、名前のイニシャルで呼ばれていた。

通称、『S』である。

②ミスキャンパス時代

昔、といっても30年以上も昔で、今ではそのときの原型をとどめていない。

そのような姿であったとき、Sは、大学のミスキャンパスで優勝した。

今思うと、時代が良かった、といえるのであろう。

その、世でいう一流大学には、そもそも女子が少なかったし、Sをその大学の教授が推薦してくれたのだ。その大学教授は、Sの祖父の昔の部下であった。

当時は、その関係が意味をなすのか、意味をなすとしてどういう意味をなすのか、よくわからなかった。ただ、私の背後に世間の大きな力が私に有利に働いているということは、明らかに感じ取れた。

立候補から、投票結果が分かる当日まで、祖父とその大学教授、そして、後援会と称するものを形づくっている、私の所属するサークルの知人たちがまとめた、紙上の計画通りの言動を心がけた。

そこには、『ミスキャンパス優勝までの戦略』とタイトルが書かれ、スケジュールがびっしりと埋められていた。

Sは、彼らの票を得るからには、彼らの言うことを聞くのが条理に沿うものであろうと思い、それを受け入れた。

不安な思いもあって、楽しい、気持ちとは程遠かったが、私は、今まで勉強しかやってこなかったし、同じ大学に通う同級生の学歴に差をつけられる、ミスキャンパスという箔がつく事を考えると、その窮屈さは、我慢できるものであった。

自分の事を、大して美人とは、思わなかったが、ミスキャンパスは立候補者に対する投票で決まる、ということを考えると、自分より美人で異性にもてる人間が必ずしも優勝するとは限らないということも、察していた。

ちょうど、大学入試において、自分の他に数多いる、才能あふれる同級生を押しのけて、合格をつかみとったように。

大学に合格してから、世間の私を見る目が変わった。生活環境が変わったというのもあるが、一番の要因は大学の名称であろう。

今までは、進学校に通う生徒の一人という存在であり、クラスには、それこそ、私が一生かかっても追いつけないような速さと正確さで、問題を解いてしまう人が、多くいた。

私は、彼らと同じ教室で授業を受ける資格を得るために、ひたすら、努力を重ねるしかなかった。それは、早朝、皆が投稿する前の教室で、また、帰宅の電車を遅らせて入った、喫茶店の中で、極力人目につかないように行われた。

そんな、受験勉強をしている中で、気付かされたことがある。

それは、受験生活の中では、大学合格以外に、何も望んではいけないという事であり、また、他の夢をあきらめる、ということであった。

他の夢といっても、高校生の考えることといえば、今となっては、何ら社会的意味のない、些細な事である。例えば、クラス、いや、学内の男子生徒から、学年一可愛いという称号を得る、とか、道行く人の視線を引き付けて離さない、という事である。

Sは、それによって束の間の安心が得られ、ひと時の虚栄心が満たされる事を知っていた。それは、当時も、次の瞬間には、消えてなくなるものである、と薄々気が付いていたが、たとえ一瞬であったとしても、その瞬間を得たいと、切望していた。そして、それが得られないと分かって、半ば諦めに似た気持ち、そしてそれを拒絶するように受験勉強を続けていたのだ。

ただひたすら、勉強、勉強で、親族を喜ばすことしか考えていなかった。

大学受験で、それを裏切ろうものなら、どうなるか分からなかった。ただ、自分のこれまで築き上げた地位が崩れ落ちることは、確かであった。

彼女が、受験勉強を一心不乱にできたのは、一重にその恐怖心からであった。

いろんな思いが頭をかけ巡ったミスコンまでの二週間であったが、ミスキャンパスという栄冠を手にできたのは嬉しかった。

ただ、すぐに悟った事がある。

ミスキャンパスというものは、特権階級の泊付けのようなものであったのだ。

当該大学の、その年の、女子学生の、立候補者の中、から必ず、1人選ばれるのである。

もう、世間でいう「大人」になって久しいがSは、あらためて、その事を実感するのである。

③悪夢

そしてSが学長になって2年目の入学式、彼女が私の前に現れたのである。

いや、彼女が現れた、というより、彼女の魅力が私の視線を引き付けて離さなかったのである。彼女は、間違いなく、この年度の入学生、100人のうちのただの一人であった。また、上位5名の奨学生という枠にも名前が入っていない。まさに、その他多くの入学生の中の一人であった。しかも、他の教授から聞いたことなのだが、彼女は補欠合格だった。

まさに、彼女の身分は、授業料を確保するための、定員の枠を埋める存在に過ぎないのである。

それでも、Sの心で、恐れている事を現実化させてしまいそうな彼女の魅力に、恐怖すら感じたのである。

まず彼女の事で、Sの心臓がえぐられる思いになったのは、入学式の後の懇親会であった。

ある同僚の53歳くらいの男性の教授が入学生の女子生徒4,5人に囲まれて、話をせがまれ、自身の授業について話すと同時に、彼女たちの、質問にも答えていた。

その輪の中に、彼女も入って行った。

「まぁ、T先生、女の子に囲まれていいわね。」

Sは、嫌味とも賞賛ともとれる、その発言をするのが精いっぱいであった。

内心は、「この私がこの場で一番偉いのよ、少しは気を使いなさい。」と思って発した一言であった。

例の彼女は、それを暗に感じたのか、学長を前に、遠慮したようにその場から去って行った。

他の、Sにとって認識するに及ばなかった女子生徒は、相変わらず、男性の教授の周りに群がっていた。

Sは、その光景に、さっきの彼女の姿の残像が合わさり、不快感は一向にぬぐえなかった。

その一件は、今後彼女がSに与える脅威の序曲に過ぎなかった。

彼女が入学して、2年が経過し、Sの専門の授業を履修することになった。

そこで、Sは彼女の名前を改めて、認識した。

「名沢 ゆかり」

Sは授業が始まる前も、彼女の席の前に座る、男子生徒が彼女を放っておかない姿をみて、彼女の、人を引き付ける引力を、このSの教室でも見せつけられたのである。

見ないようにしても、そこで何が起こっているのか、その周辺にいる人間がどういう気持ちでいるのか、痛いほど伝わってくるのである。

彼女は、Sが一生かかっても得られない体験を、その青春期に毎日のようにして、自分の美貌を味わい尽くしているのである。

そんな状況に彼女は全く悪びれることもなく、Sの授業を熱心に聞いていたのである。

そのような、現実が1年間続いた。終わってみれば、あっという間であった。

だが、Sにとって彼女の存在を改めて鮮明に印象付ける出来事がその間にあった。

授業アンケートで、Sの授業についての生徒からの評価、感想が書かれたものを読んだ時であった。

名前はもちろん伏せられているが、内容はS本人に書類として、渡された。

ここ数年、毎年のように行われており、罵倒、侮辱にもまったく動じなくなっていたし、逆に賞賛の言葉が書かれていたときには、ホッとするようになっていた。

誰が書いたか、ということについては、全くと言っていいほど興味が無かった。

ところが、彼女の学年の授業では、アンケートを書いている現場の教室にいたSは、彼女が熱心にペンを走らせている姿が気になった。自分のことについて書いているのであるから、きっと何らかの強い思いがあるのだろう。罵倒か、侮辱か。それにしては、真剣に、何か試験問題でも解くような、周りと一線を画した張りつめた雰囲気で、書いてある。

Sはアンケート結果に彼女の名前が書いていなくても、アンケートの内容を見たら、彼女の書いたものであると分かるような気すらした。

そして、しばらくして、Sのもとにアンケート結果が届いた。授業の感想、要望、内容はまちまちであったが、Sの授業を熱心に受講していた生徒の感想は、見てはっきりと分かった。

その中でも、S自身の授業について述べているものについては、特に印象に残った。

「五嶋先生の授業は、情熱的で、迫力があって、胸に訴えかけてくるものがあります。何より五嶋先生自身が凛としていて、尊敬できる存在です。私も、これからもっと努力して、五嶋先生のような存在になりたい、と思えるようになりました。」とある。

生徒からの率直な意見を教授に届けられるよう、書き主が分からないよう、パソコン打ちにされていて、筆跡は分からないが、内容はまるでファンレターであった。

Sは、長く教授をやっていて、他の教授や外部の仕事関係の人間から明らかにお世辞と分かる賞賛の言葉は何度もかけられたことがあるが、一生徒からここまでの賞賛をもらったことは初めてであった。

彼女が長年、欲していた、人間的魅力に対する世間からの評価のかけらを得たような気がした。わずかばかりであったが、Sは満たされた気持ちになった。

そして、ふっと我に返るのである。

こんなことに浮かれていては、今後の仕事に身が入らなくなる。しっかりしなくては、と思い直すのだ。

その次に思うのは、誰がこんな内容の文面を書いたのか、という事である。

恐る恐る、名沢ゆかりの授業態度、としてアンケート用紙にペンを走らせる真剣な姿を思い出してみた。

書き主が彼女である可能性が、ふつふつと湧き上がってきたが、それが決定的とSの頭の中でいえるようになる前に、Sは思考停止し、その日は早めに寝ることにした。

④彼女からの学び

Sは受験時代、試験の点数に結びつかない体験にどれほどの意味があるのか、とよく思っていた。

ただ、ティーンズ雑誌の特集で見る恋愛体験の座談会等を読むたびに、そういう体験を、この、少女から大人になる過程にあり、女性として初々しい十代のうちにしておきたい、とも強く思った。

ただ、自分には、それができないということも、感じていた。

だから、ひたすら勉強するしかなかった。

大学入試において、恋愛は御法度だと、Sの学生時代から、よく言われた。

 しかし、名沢ゆかりを見て、彼女ほどの美貌と才覚があれば、おそらく、周囲も、そして自分自身も我慢できないだろうな、と思った。

 そして、Sは、自身がこうしてミスキャンパスの優勝を経て、大学教授になったということは、美貌を売りにした、他の道が前に開かれなかったと、時を経た今になって確信させられるのである。

それは、『大学教授』という肩書きで得ている自己肯定力をいささか揺るがすものであった。

一方、名沢ゆかりは、というと、それ、つまり女子学生としての生活を謳歌することを極限までは我慢せず、そしてあきらめなかったから、努力した先には、何かさらに華々しいものが得られると思っているのであろう。

Sは、前のアンケートの文面を読んで、そう思ったのである。

つまり、名沢ゆかりは、Sが学生の頃、捨てたもの、諦めたものをまだ追い続けているのである。

いつか得られる、と確信しているからこそ彼女は、自身の美貌をミスキャンパスなどで安売りすることなく、また自分に求愛する同世代の男子生徒ともたやすく付き合うことなく、Sの授業を熱心に受けているのである。

そして、彼女は、Sがそれ(彼女の求めているもの)を得ているとさえ思っているのだ。

そう考えるとSは、だんだん自分が惨めな気持ちになってくるのが分かった。

⑤現実

 Sは、ふっと考えた。

 自分は、当時、どれほどまで美しかったのだろうか。

 そこで、引き出しの奥にしまっている、当時の写真を見ることにした。

 ミスキャンパス当時、現場写真とは異なり、写真館で取ってもらった写真である。

 写真は、一枚だけを専用の額に入れて、折りたたんだ際、張り付かないように、薄い紙がはさんでいる。

 そこには、こちらに向かって、ややぎこちない笑みを浮かべている、女性が立っていた。

 服装は、貸衣装の、膝丈のブルーのドレスで、少しだけ、足をクロスさせ、片足を前に出している。さすが、写真館で撮っただけあるな、とS自身現在でも思った。

 ただ、顔については、最近テレビでよく見かける、輪郭、鼻筋、目元においてすっきりとした、西洋風の美人を思い浮かべると、とても美人とは言えない、というのが正直な感想であった。

 減量に取り組んだ直後であったため、さすがに体のラインはすっきりしていたが、顔だけを見るとたれ目で、少しふっくらしているように感じた。

 まるで、アヒルが必死に白鳥のまねをしているような、無様さを感じ取ってしまい、Sは自分でも怖くなった。そして、大学院の生徒として在籍する彼女の顔を思い浮かべ、さらに焦燥感にさいなまれるようであった。

 そこで、再び考えた。

 ミスキャンパスとは、一体どういうものだったのだろう、と。

 当時は、美人、と自他ともに認められたことが証明されるものであると、思っていた。

 しかし、あれから長いときが経過し、自身も人生経験をふんだ今、そうではない事は、痛いほどわかった。

 若いころは自分が絶対的な存在であると、信じていたし、それを誇示したかった。

 ミスキャンパスは、そういう若い女性の心理をうまく汲み取り、またその魅力を摂取するものであったのかもしれない。

 思えば、皆から内心尊敬させ、道行く人の心までも魅了する、自他ともに認める女性は、Sの学生時代からも多数存在したが、彼女達は決して、ミスキャンパス等、ミスのつくものに出ようとしなかった。

 彼女達は、メディアや聴衆の餌食になることを無意識的に、察知していたのかもしれない。

 一言でいえば、彼女達にとってミス〇〇に出ることによるメリットよりもデメリットの方が、格段に多いのである。

 また、ここでいうデメリットというのは、その後の経過(立候補してから優勝までの過程)が、自身で把握できない不確定要素が多いということも含まれているのである。

⑥卒業

Sが名沢ゆかりについていろいろ考えさせられた月日が流れ、彼女の卒業式のシーズンとなった。

彼女は、入学式で見たままの姿であった。

専門分野の学問を学んだことで、内面は変わっているのであろうか。いや、あまり変わっていないであろう。

大学生活を経て円熟味が増すどころか、かえって、少女のような若さが、より、溢れ出していた。それは、大人を恐れず、また時に軽蔑するような眼差しから、語られていた。

卒業式と同時に、Sは学長でなくなり、その大学に勤める、50人いる教授の内の一人になった。

Sの、彼女に対するこの思いからは、しばらく解放されそうにない。

ただ、この数年間、時代をまたいで、いろんな事に思いを馳せ、感情を揺さぶられたものであるが、我ながら、よく耐えてまともに授業をしたものだ、と思った。

そうして、いつものように、自身の、教授室に戻った。

気が付くと、机上にある、成績不良者名簿にある彼女の名前を見つめていた。

もちろん、そこには、自分が彼女につけた成績も含まれていた。